昨日友達の用事で日本領事館に行ったとき、待合室に日米新聞が置いてありました。久し振りに日本の活字で読める新聞。嬉しくなってページをめくっていると、今年の日米新聞が主催したエッセイコンテストで佳作に入った日本人女性Aさん(多分55歳くらい)のエッセイが載っていました。
そのままの文章でここに書きたいのですが、新聞には「持ち出し厳禁」って記してあるし、書き写すのには時間が無いし…今思うとカメラを持っていたから記事の写真を撮るべきでした。
仕方が無いので物覚えの悪い頭で覚えている限りの内容を書き出します。
Aさんは北カルフォルニアに住んでいる事
ご主人はアメリカ人である事
子供は(多分)2人
日本にいるお母様がアルツハイマーになった事
日本からお母様を引き取った事
体重が29キロのお母様は81キロの彼女のご主人を「お相撲さん」と呼んでいた事
日本に帰りたいとも言わずにアルツハイマーのお母様との生活にも楽しい笑いがあった事
年々アルツハイマーが進行して看病が大変になってきた事
Aさんも看病の疲れで倒れる位に限界に達した事
亡きお父様の仏前で泣きながらお母様を迎えに来るようにお願いした事。
そして8年目にお父様が迎えに来てくれた事
今はお母様との楽しい思い出しか思い出さない事
Aさんのエッセイを読んで、涙がでました。お父様の仏前で泣いたAさんの気持ちがとても良く分かるのです。
私の母は最期1年半くらいアルツハイマーでした。最初は軽症で家族にも判らない程度でしたが、父が亡くなってからは毎晩「今夜はお父さんが迎えに来ますからそのつもりでいてね」と私に言うようになり、それから日に日に悪化して最後の4ヶ月は私が誰かも分からなくなりました。母は「ここは自分の家ではないから、迷惑をかけるから早く帰らなければ」と言うのが口癖で、立てない足で立とうとするのです。ちょっと目を離すとハンドバックを持って玄関の方に這って行きます。3月の寒い夜中に寝巻きで這っていましたから、直ぐ布団に戻してあげないと風邪を引いてしまいます。夜中でもそうでしたから、私は睡眠を取る事もできない状態でした。そんな時、父の位牌の前で私もAさんの様に泣きました。私は迎えに来てとは一度も思った事もありませんでしたが、母と私のそんな悲しい状態を見て矢張り父は迎えに来たような気がします。丁度父が亡くなってからまる半年後に。 そして2ヶ月後の初盆は父と母と一緒の初盆になりました。仲の良い夫婦は偶にこういう事があるとお坊さんが仰っていました。今は2人でカルフォルニアのお墓で私たちを見守っているように思います。
アルツハイマーにかかった母の看病をした私はAさんの気持ちが痛いように理解でき、又佳作に選ばれたという事は他の大勢の方からも共感を得たのだと思いました。
ここにAさんの書かれたエッセイをそのままご紹介できないのが残念です。
認知症になられた水木すすむさんのブログ
若年アルツハイマーの奥様を看ていらっしゃるスリブリさんのブログ
そのままの文章でここに書きたいのですが、新聞には「持ち出し厳禁」って記してあるし、書き写すのには時間が無いし…今思うとカメラを持っていたから記事の写真を撮るべきでした。
仕方が無いので物覚えの悪い頭で覚えている限りの内容を書き出します。
Aさんは北カルフォルニアに住んでいる事
ご主人はアメリカ人である事
子供は(多分)2人
日本にいるお母様がアルツハイマーになった事
日本からお母様を引き取った事
体重が29キロのお母様は81キロの彼女のご主人を「お相撲さん」と呼んでいた事
日本に帰りたいとも言わずにアルツハイマーのお母様との生活にも楽しい笑いがあった事
年々アルツハイマーが進行して看病が大変になってきた事
Aさんも看病の疲れで倒れる位に限界に達した事
亡きお父様の仏前で泣きながらお母様を迎えに来るようにお願いした事。
そして8年目にお父様が迎えに来てくれた事
今はお母様との楽しい思い出しか思い出さない事
Aさんのエッセイを読んで、涙がでました。お父様の仏前で泣いたAさんの気持ちがとても良く分かるのです。
私の母は最期1年半くらいアルツハイマーでした。最初は軽症で家族にも判らない程度でしたが、父が亡くなってからは毎晩「今夜はお父さんが迎えに来ますからそのつもりでいてね」と私に言うようになり、それから日に日に悪化して最後の4ヶ月は私が誰かも分からなくなりました。母は「ここは自分の家ではないから、迷惑をかけるから早く帰らなければ」と言うのが口癖で、立てない足で立とうとするのです。ちょっと目を離すとハンドバックを持って玄関の方に這って行きます。3月の寒い夜中に寝巻きで這っていましたから、直ぐ布団に戻してあげないと風邪を引いてしまいます。夜中でもそうでしたから、私は睡眠を取る事もできない状態でした。そんな時、父の位牌の前で私もAさんの様に泣きました。私は迎えに来てとは一度も思った事もありませんでしたが、母と私のそんな悲しい状態を見て矢張り父は迎えに来たような気がします。丁度父が亡くなってからまる半年後に。 そして2ヶ月後の初盆は父と母と一緒の初盆になりました。仲の良い夫婦は偶にこういう事があるとお坊さんが仰っていました。今は2人でカルフォルニアのお墓で私たちを見守っているように思います。
アルツハイマーにかかった母の看病をした私はAさんの気持ちが痛いように理解でき、又佳作に選ばれたという事は他の大勢の方からも共感を得たのだと思いました。
ここにAさんの書かれたエッセイをそのままご紹介できないのが残念です。
認知症になられた水木すすむさんのブログ
若年アルツハイマーの奥様を看ていらっしゃるスリブリさんのブログ



















コメント
コメント一覧 (48)
わからない辛い出来事だとお察しします。私も身近に高齢な親達がいますので
心のどこかにいつかは、という覚悟みたいなものはあるものの実際そうなったら
私はどうするだろうと思うばかりです。
現在同居してる義父は88才で高齢ながらしっかりした人ですがそれでも色々あります。この狭い地域の中でもどれだけの老人が施設通いしてるかわかりません。外へ出るたび施設の送迎の車を見かけますから。これから先アルツハイマ−症状が増える事はあっても減る事はないように思えます。深刻ですね。
年をとると余計身にしみるお話ですね
アルツハイマーにならないよう予防しておかなくては
認知症にかからないように
と考えています。
家の庭から撮りました
とても美しい夕焼けでした
私は母の親戚にも父の親戚にもだれも認知症の人がいないので、分かったときは凄いショックでした。夢にも思っていませんでした。私が一番早く気が付き、その後父や姉に説得させるのに時間がかかりました。
お義父様は88歳ですか。それでしっかりしていらしたらユムユムさんも助かりますね。うちの鹿児島の実家の隣隣がお年寄り用のデイケアです。アメリカにも日本人が主催しているデイケアがあります。お友達(75歳)がマネージャーです。自分のこれから先の事を考えると気が沈みますね。
私もそれだけが希望です。
認知症になって家族の負担になりたくない…でもこれだけはねえ選択があるのでしょうか。
心がけ一つで回避できるのであれば何でもして努力します。
うちは残念ながら道路に出ないと丘が見えません。
私の両親は今のところ二人揃って元気に毎朝ジョギングするほどですが、体と脳はまた違って、このアルツハイマーが私達姉妹の一番心配する問題です。
この問題に直面していらっしゃる方はかなりの数だと思いますが、Aさんのエッセイ、Chiblitsさんのお母様の看病。。どちらも胸が締め付けられます。
経験したことの無い私には想像も出来ないと思います。
まだ先の話ですが、私もお墓に入るときはダーリンと同じ頃に行きたいです。。。Chiblitsさんのご両親のように。。。
今日は実家に寄って母の顔を見てから帰ろうかな(^-^)
お母様はSanaeさんが居る事だけで慰められていたと思いますよ。家族が同じ屋根の下に居るだけでも心強くなるものです。私は実家に帰って母と2人きりでしたから本当に心細かったです。ただいま〜って家族が一人でも帰ってくれたら、どんなに心強いかと思いました。でも毎日ヘルパーさんが3時間来て下さったので、その間に仮眠したり、買出しに言ったりとても助かりました。
Chicoさんは確かご両親が沖縄でしたよね。Ziggyさんのご実家も沖縄でしたね。Ziggyさんのご両親もマラソンなさいますよね。Chicoさんのご両親とZiggyさんのご両親はお友達ですか?あまりにも共通点があるのでびっくりしました。それにしても沖縄のお年寄りはお元気ですね!ああお年寄りなんて呼んじゃいけません!
空気が奇麗で本当に良いところなんでしょうね。長寿の秘訣でしょうか。
本当に悲しい病気ですね。
自分が段々悪くなっていくのが本人にもよく分かるのです。母も自分でよく分かっているようでした。一番大切なのは家族の病気の理解だと思いました。優しくしているととても優しいです。母は私の心の鏡のようでした。家族全員が理解してあげないといけない病気だと思いました。
私も子供達には面倒見て迷惑かけたくないと思いますがこればかりは難しいですね。
3人のご両親を見ながら、子豚のままさんの明るさには何時も感心します。若い子供達が居てくれる事もとても大切です。人工透析を何十年も受けながら健康でいられるのは、きっと家庭が明るくてお幸せだからだと思います。私は3代が一緒に生活する事は長生きの秘訣だと思うんですよ。3代一緒に生活しているお年よりは皆さん長生きで健康ですもの。子供達にもプラスになる事が沢山です。
素晴らしいお仕事ですね!
ゴンちゃんみたいな方がいらっしゃるお陰で何人の方が救われているか。私は鹿児島でお世話になったヘルパーさんを思うと感謝の気持ちで涙が出ます。6人のヘルパーさんが交代で毎日来て下さいました。1週間眠れなくてふらふらな時に助けて下さいました。本当に感謝しています。そんなお仕事につかれるゴンちゃん尊敬します。
アルツハイマー、周りの家族が大変な思いをするんだな〜という事を、前にChiblitsさんが紹介してくれた“若年性アルツハイマー介護日記”や“認知症一期一会”のブログから勉強させていただいています。 両親の心配、自分の老後の心配、どうしてもしてしまいますね。
ちょっとちょっと待って下さい!
頭がこんがらがってきましたよ〜。
ChicoさんとZiggyさんのご両親が同一人物っていう事は…つまり…ChicoさんとZiggyさんは姉妹って事?ですね!
ひゃ〜全く意外でした!
まあ私、マラソンをなさるとChicoさんがおっしゃるものですから、ご両親達が仲の良いお友達とばかり思っていましたわ!
Chicoさんにコメントを書いた時、ChicoさんがZIggyさんをご存知か自信がなかったのです。でも確かZiggyさんのブログでChicoさんの名前を拝見したような記憶があって。ChicoさんのProfileを見たら、沖縄ってあったので、もしかしたら沖縄出身でお友達なのかと思いました。
こいういう問題を抱えている家庭が多いこの頃ですね。
私もいつ両親がそういうことになるのか・・・
その時できることを精一杯したいですう・・・
それでも、chiblitsさんの書き込みを見て、とても考えさせられるのは、年老いて弱ってしまってから、海外へ引き取っても大丈夫なものなのか?って心配もあります。食事事情も違うし、言葉も通じないし、お医者さんも。
また、アルツハイマーで子供の時の記憶だけ残り、言動など子供に返り、娘さん(お嫁さんだったかもしれません)を自分のお母さんだと思い、甘えていたというのを聞いたことがあります。この方は、きっと亡くなるまで幸せな日々を最後に送れたんだと思います。
しました。以前『認知症一期一会』を新聞で見て早速UPしたのが水曜日。
教室へ行く前でした。そして今日も・・・。
chiblitsさん、chiblitsさんがブログで水木さんの事紹介して下さってから、その後に
沢山の方が訪問されています。もう一度水木さんの事本文のどこかに書いて、
もっと皆さんに知って頂いたら如何でしょうか?新しい方は多分ご存知ないと思い
ますので・・・。悪戯に恐れるのではなく、誰にでもいつか訪れるかも知れない病、
少しでもその知識があれば、苦痛も軽くなるのではないでしょうか?
娘の看護専門学校の入学式で、学長の仰った言葉を思い出しました。
今から5年後には日本は超高齢時代に突入します・・・・と、
その話と合わせて、老人性のアルツハイマ−と、若年性のアルツハイマ−のお話も伺いました。
この事について、もっと勉強しないといけないなと思いました。
娘の看護専門学校の入学式で、学長の仰った言葉を思い出しました。
今から5年後には日本は超高齢時代に突入します・・・・と、
その話と合わせて、老人性のアルツハイマ−と、若年性のアルツハイマ−のお話も伺いました。
この事について、もっと勉強しないといけないなと思いました。
人は皆年取っていくのですものね。避けては通れない問題なのですね。
会うと辛くなるのでここしばらく足が遠のいていましたが、今度会いに行ってみようと思います。
話は変わりますが、chiblitsさんの娘さんのショールがあまりにも素敵で感動しました。繊細で美しい!
サンフランシスコの牡蠣のお店も古さがまたいいですね〜。こんなお店、近くにあったらいいな。
私は今、病床で自分を介護することは容易でないと強く感じます。体も小さくない私が、寝たきりでいるためにできることはとても少ないです。それを介護することは大変です。そんな私が将来認知症になったり、寝たきりになったらと、いろんなことを想像しています。
私の知人の知人に日本から母親を引き取った方があります。こちらに来て環境が変わった為に認知症になりました。既に認知症の方は環境変化で悪化するし、認知症でなくても環境変化で認知症になる可能性がありますから、海外で引き取るのは問題ですね。でも私は父が亡くなって母が元気であれば、アメリカに引き取るつもりでした。夫も子供達もそのつもりだったのですが、体力も弱り、認知症も進んで環境を変えるのは良くないと考え、私と姉と交代で実家で母を看る事にしました。子供達も独立して時期的にそれが出来たのでともてラッキーでした。計画していても、状況でどう変わるか分かりませんから、お元気な時に考えても仕方がないですね。
私の周りには一人も認知症の人がいなかったし、母の姉妹も90歳でも皆頭がしっかりしていたし、母がそうだと気が付いた時は本当にびっくりしました。何時自分の事になるか分からないです。
私の周りには一人も認知症の人がいなかったし、母の姉妹も90歳でも皆頭がしっかりしていたし、母がそうだと気が付いた時は本当にびっくりしました。何時自分の事になるか分からないです。
アルツハイマーの症状は人其々の様ですね。私もヘルパーさんたちに色々はお話を伺いました。母の症状は良い方だと仰っていました。一番近い家族が分からなくなるのは典型みたいですね。45年振りで名古屋から私と同じ年の従姉妹が母を見舞いに来たのですが、その時、母に「誰かわかる?」と聞いたら、「こちらが名古屋のSちゃんで、こちらがMちゃんでしょ?」と45年ぶりで会った姪達が分かるのです。娘は分からないのに。この病気は本当に不思議ですね。
本当にそうですね。
水木さんとスリブリさんのリンクを紹介するべきですね。お二人のリンクを貼りましょう。
私もあれから水木さんとスリブリさんのブログは欠かさずに読んでいます。もしもし私が自分で認知症じゃないかと感じ始めたら、家族に読んで欲しい事を今まとめているんですよ。母がそうでしたから、自分だって分かりませんから。水木さんのようなサイトを英語でも見つけておかなくちゃ。
これからは団塊世代の人達が70、80代に突入していきますね。その時には良いアルツハイマーの薬が作られている事を願います。脳梗塞も後遺症が大変ですね。年を取ってもちゃんと老人が自立していけるようなシステムにならないと、それを支える人達が大変ですよね。社会保障が進んでいる北ヨーロッパもお年寄りは幸せでないと聞きます。3代の家族が近くに住んで助け合うのが一番だと思うのですが、難しい問題ですね。
アルツハイマーは家族の負担大きいですね。自分ひとりで抱え込んでいるのは共倒れになってしまいます。介護システムを利用して助けを求めた方が良いと思います。
私も母がこの病気になるなんて夢にも思いませんでした。この経験をしたら、自分もなる可能性があると思い、将来を考えると不安です。今から施設も見ておいた方が良いかなあとか思ったりします。
本当に悲しくなりますね。
誰だって人に迷惑をかけない老後をと思っても、思うようにならない事の方が多いですもんね。周りの人たちが病気を理解する事が一番大切だと思いました。本当に親近くに住んで上げればよかったと今になって思います。孫達も歩いて遊びにいける距離に住んでいたら長生きしてくれただろうにと思います。おばあさまもよく分からなくてもきっとお喜びになると思いますよ。
きょんさんも大変だったのですね。でも自分の体力のあるうちに出来て良かったですよ。
書かなかったのですが、私ねお食事が終わってからトイレに行ったのですよ!そしたら何と!100年のトイレでした!(笑)それはそれはびっくりして、写真を撮るのを忘れました!あのトイレの写真を撮るためにもう一度行きたいくらい!(笑)
きょんさんも大変だったのですね。でも自分の体力のあるうちに出来て良かったですよ。
書かなかったのですが、私ねお食事が終わってからトイレに行ったのですよ!そしたら何と!100年のトイレでした!(笑)それはそれはびっくりして、写真を撮るのを忘れました!あのトイレの写真を撮るためにもう一度行きたいくらい!(笑)
Milaimamaさんはご両親の周囲にご兄弟がいらっしゃるから大丈夫ですよ!近くに兄弟がいてくれたらこんなに心強い事はありません。そして傍に子供達やお孫さんが居ればきっと何時までもお元気ですよ。
病気になると色々不安な事を考えますよね。
私もそうです。今は夫が割りと健康でいてくれるから私は病気もしていられますが、これで夫も病気だったら自分が潰れてしまいそうです。自分に元気があって、両親を世話をするほうが気分的にはず〜っと楽です。自分が出来ない状態の方が辛いですね。ばぶおさんのお気持ちよく分かります。お大事になさって下さい。お友達にDVDをかりてもらって面白い映画を沢山見てください。私は病気の時そうします。
ここに書くのも・・・と思いましたが、今日、Chiblitsさんのレシピでオレンジマフィンを作ってみました。とってもおいしくできました(^^)ありがとうございます。文中にリンクをはらせていただきました。そのお知らせです。
わ〜有難うございます!
オレンジマフィンのレシピにSanaeさんのブログURLを貼っても宜しいでしょうか?
それとViewerのページにも!
自分も、50代の半ばで両親とも既にいません。父は亡くなって15年近く、母は1年以上は経ちました。父は肺がんで母は胃がんで亡くなったのです。
母は病気が分ってから、一年くらいで亡くなりました。その間は辛いものがありました。最後の最後まで、弱音をはかない母でした。死ぬ一週間前まで、勿論意識がチャンとしてましたので、その年は地震が多い年で、三回くらい二月おきにありました。自分の病状がそうであるにも拘らず、看護婦さんに気遣いをしていました。
初めまして。といっても確かはなか〜さんのところでコメントを残された方ですよね。「不整脈」と聞いて思わず反応してしまいました。
isamrx72さんの書かれている言葉で、isamrx72さんはお母様の死が鮮明に心に残って1年経ってもまだまだ悲しみが大きいと察します。親を亡くすのは無限に悲しい事ですね。
私は癌が一番怖かったのですが、今は認知症の方が怖いです。
古木は植え替えちゃいけない…本当にそうですね。
だからね、ホームに入るのなら、早めに入ったほうが良いと思うのですよ。入りたくないけどね。
私の周りにも年取って運転も出来なくなって食事の仕度もできない方がありますけど、やはり最後はホームですね。アメリカでは子供が引き取るなんて聞きません。でも体が不自由になったら、庭があっても野菜ができるわけでなし、庭は必要じゃないと思うのね。心地よい空間があって時間が自由であればホームも悪くないかなあと思ったり。でもこれが目が飛び出る程高いから、これも問題なのよね。