東北大学臨床教授 岡山博氏の
焼却処分はすべきではない放射性廃棄物処理の正しい戦略と方法
横浜国立大学名誉教授 宮脇 昭氏 「いのちを守る300キロの森づくり」
福島のお母さん達から瓦礫の受け入れに反対をしてください。 ~福島の母親たちより~

1966年 17歳の夏から翌年1967年の夏まで10ヶ月の間
私はモンタナ州の小さな町でホームスティをしていました
来た時はスーツケース一つでしたが
10ヶ月の滞在が終る頃は
自分が家庭科で作った洋服や
記念品 本 アメリカの食べ物
持ち帰りたいものが沢山増えて
どうしてもスーツケースだけでは足りません
そこで船に乗せても良いようなサイズの
大き目のスーツケースを買う事にしました
人口1万5千人という町でしたから
家から前の道路を真っ直ぐ30分下りて行くと ダウンタウンに着きます
お金がない貧乏学生だったので
なるだけ安物を売っていそうなお店を物色していると
ショーウィンドーにはもう何年も同じものを置いてあるようなお店がありました
飾り物は日焼けして埃がつんで
いかにも安物の雑貨屋という感じ
今考えると あの町にはあんなお店しかなかったような気がします
中は大きな倉庫のようで歩ける程度に物が雑然と並んでいました
陶器のディナーセットから
ちょっとした家具まで 何でもありのお店でした
スーツケースもあったのですがちょっと小さめ
箱のように大きなのがいいと言ったら
青いトランクを見せてくれました
薄いメタルでできていたと思う
中は紙が貼ってあり 一応メタルなので作りがしっかりして
錠前も大きくて頑丈そうでした
結構大きなサイズでしたし 何しろお値段が安かったのです
確かな記憶ではありませんが多分8ドルくらいだったかも
迷わず それに決めました
この大きなトランクをどうやって持ち帰ったのか
記憶にありません
多分 お友達と行って 二人で運んだのでしょう
その夜 私は思い出の品々を一杯トランクに詰めて
大きい紙にこれから乗る船の名前 クリーブランド号
入港する港の名前 Yokohamaと 入港日
そして鹿児島の実家の住所を書いて青いトランクの蓋に貼り付けました
1967年の6月でした
それから5年後の1972年8月9日
私は再び同じクリーブランド号に乗って
サンフランシスコに向うことになったのです
私は24歳 今度は結婚の為です
そして青いトランクも再び太平洋を渡る事になりました
今度は衣類や雑貨だけでなく
大きな大きな夢と希望が一杯詰っていたのでしょうね
この青いトランクをですよ!
車庫のガラクタ整理をしている娘が見つけましてね
お母さん これはもう捨てなさいって
確かに 安物でとっておく価値は全くないものですけど

なんかね〜 こうして当時の自筆で
クリーブランド号 サンフランシスコ 8月9日って書いてあるし
最初のアパートのアドレスも懐かしいし
2回も太平洋を渡って来たトランクですからね〜
でももうこれでいいです
ここにちゃんと記録を残しましたから
これで青いトランクにさようならします
それにしてもどうしていつも私だけ捨てなくちゃならんの
じいさんのガラクタも一杯あるのに
捨てがたい気持を理解していただけたら応援を有難うございます。

横浜国立大学名誉教授 宮脇 昭氏 「いのちを守る300キロの森づくり」
福島のお母さん達から瓦礫の受け入れに反対をしてください。 ~福島の母親たちより~
1966年 17歳の夏から翌年1967年の夏まで10ヶ月の間
私はモンタナ州の小さな町でホームスティをしていました
来た時はスーツケース一つでしたが
10ヶ月の滞在が終る頃は
自分が家庭科で作った洋服や
記念品 本 アメリカの食べ物
持ち帰りたいものが沢山増えて
どうしてもスーツケースだけでは足りません
そこで船に乗せても良いようなサイズの
大き目のスーツケースを買う事にしました
人口1万5千人という町でしたから
家から前の道路を真っ直ぐ30分下りて行くと ダウンタウンに着きます
お金がない貧乏学生だったので
なるだけ安物を売っていそうなお店を物色していると
ショーウィンドーにはもう何年も同じものを置いてあるようなお店がありました
飾り物は日焼けして埃がつんで
いかにも安物の雑貨屋という感じ
今考えると あの町にはあんなお店しかなかったような気がします
中は大きな倉庫のようで歩ける程度に物が雑然と並んでいました
陶器のディナーセットから
ちょっとした家具まで 何でもありのお店でした
スーツケースもあったのですがちょっと小さめ
箱のように大きなのがいいと言ったら
青いトランクを見せてくれました
薄いメタルでできていたと思う
中は紙が貼ってあり 一応メタルなので作りがしっかりして
錠前も大きくて頑丈そうでした
結構大きなサイズでしたし 何しろお値段が安かったのです
確かな記憶ではありませんが多分8ドルくらいだったかも
迷わず それに決めました
この大きなトランクをどうやって持ち帰ったのか
記憶にありません
多分 お友達と行って 二人で運んだのでしょう
その夜 私は思い出の品々を一杯トランクに詰めて
大きい紙にこれから乗る船の名前 クリーブランド号
入港する港の名前 Yokohamaと 入港日
そして鹿児島の実家の住所を書いて青いトランクの蓋に貼り付けました
1967年の6月でした
それから5年後の1972年8月9日
私は再び同じクリーブランド号に乗って
サンフランシスコに向うことになったのです
私は24歳 今度は結婚の為です
そして青いトランクも再び太平洋を渡る事になりました
今度は衣類や雑貨だけでなく
大きな大きな夢と希望が一杯詰っていたのでしょうね
この青いトランクをですよ!
車庫のガラクタ整理をしている娘が見つけましてね
お母さん これはもう捨てなさいって
確かに 安物でとっておく価値は全くないものですけど

なんかね〜 こうして当時の自筆で
クリーブランド号 サンフランシスコ 8月9日って書いてあるし
最初のアパートのアドレスも懐かしいし
2回も太平洋を渡って来たトランクですからね〜
でももうこれでいいです
ここにちゃんと記録を残しましたから
これで青いトランクにさようならします
それにしてもどうしていつも私だけ捨てなくちゃならんの
じいさんのガラクタも一杯あるのに
捨てがたい気持を理解していただけたら応援を有難うございます。



















コメント
コメント一覧 (69)
初めて投稿させていただきます。いつも楽しく読ませていただいております。
一言! 「捨てないでえ〜!」
ほんとうにいいのですか? ほんとうに捨てちゃうのですか?
私も、捨てないで〜、に一票です。
トランクの中には色んな物を入れておけるのだから、場所をとるとはいっても全くの無駄ではないですよ。古いものや使い道のないものにいつまでもこだわってなんでもかんでもとっておくのは思い切りが悪いですが、人生には無駄やノスタルジーを入れておく余裕があってもいいじゃないですか!
第一、そこはChblitsさんのお家でしょ、娘さんのご意見はあくまでも参考にする程度でいいですよ!
こうやって他人が口をだすのにまで耳を貸していると、Chiblitsさんも大変でしょうけどね、ついつい。失礼しました。
初めまして!!
もう捨てましたよ〜〜〜
娘が持って行きました。 自分のところにあるゴミ捨て場は大きいのでそこに捨てるって。
もう私 63ですからね〜 そろそろ身支度もしないとですね〜
確かにトランクの中には色々入ります。真四角なのでかなり入りますね。
そうですね~確かにノスタルジーはあります。 これだけじゃないかな、私の1960年代からの持ち物って。 じいさんは1950年代からの持ち物を結構もっていますけどね。 ビービーガンとか。
でもね〜上でも書きましたけどこれからはもう物はなるだけ食べ物とか消費できるものだけしか買わず身の回りを軽くしていこうと思っています。 こんなのは後ろ向き姿勢なんでしょうか。
地下の倉庫なんか、テディの持ち物(コンピューター関係)で溢れかえってるし(笑)
でも、物持ちが良いので、小さい頃の絵本とかもまだ持っていて、これからやっと息子のために使えそうです。
私もドイツに来て10年以上経ってしまいました。
想い出の品物は増えるばかりだけど、子供の物も増えるし。。。これから少しずつ片付けるようにしなければ。
元々『片付けられない女』なので、物を増やさないのが家の中をキレイにする近道かも?!
蒼いトランク、捨てないでください。
とてもきれいなトランク。
chiblitsさんの物語ももっと伺いたいなあと思いました。
胸がキュンとしました。
私はこの4年の間に2回手術をしましたが、
最初の時は急な事で何の準備も出来ず、身の回りの物を子供達に持って来てもらました。
普段から整理整頓は心がけていましたが、捨てられない物も多くありました。
いつどうなってもいいように、退院してからは徹底的に処分しました。
その中でも最近まで捨てられなかったのは、
子供達が幼稚園や小学校の頃に描いた絵や作文です。
本人達に見せると「うわ〜見たくない、何で捨てないの?」
という返事。
自分の心に刻みつけ処分しました。
でも、でも、でもですよ!
それは私がいただきにあがりたかったです!ついでにチビリツさんのお手製のお菓子なんかと一緒に〜。
きっとガレージの前に出しておいたらどなたかが持っていったに違いないですよ。アンティークっぽくていいじゃないですか!ヒンジのところを直したら、子供のおもちゃ入れにいいわ〜。またはティーネージャーの部屋に小洒落た洋服入れ。
そうですよ、じいさんが占領しているガレージのものに比べたら・・・。娘さん、見る所が・・・。あ、失礼しました。
ブログがあってよかったですね。私も記録代わりに色々残しています。私も主人と3ヶ月離れているときに書いた・もらったラブレターが100通近くあるんですけど、息子たちには残しておけないでしょ!どうしましょ・・・ゴミ箱いきですかね(涙)。
文章を読んで何だか胸がいっぱいになってきました。私も捨てないで欲しいな〜と思いましたが、もう遅いんですよね。。。身の回りの整理は年に関係なく必要だと思うんですけど、ここにいる事の始まりに関する思い出の品は最後まで一緒にいたいと私は思ってしまう方です^^ 捨てるなら、私が欲しかったですよ〜受け取りに行くのは無理だけど、国内便だから安いですもんね。もう本当に遅いのかな。。。
またその頃のお話も聞かせてください。
アメリカに長期滞在、永住なさってる方はそれぞれいろんな思いつめて太平洋を渡ったことと思います。
私もスーツケース二つで日本からアメリカの留学先に向かったのに、20年後は段ボール200個で引っ越すはめにになりました、、、とほほ。反省の毎日です。
その青いスーツケースは本当に惜しいと思いますが、もう処分されてしまったのですね・・・
私ならやっぱり「待った!」を掛けるところですが。
そのスーツケースはチブリッツさんが若い頃、夢と希望をたくさ〜ん詰めて海を渡って来たのでしょうね。
人生ってわからないものです。親御さんはまさか10か月の留学が娘の一生を決めてしまうなんて、もう日本じゃ会えないなんて、思いもせずに送り出したのではないかと思うのですけど。
私は送り出した方なのでつい自分と重なってしまいます。
若いってすごいな〜と思います、いろいろな意味です。良いですね。
私たちはもう娘は日本で暮らさないかも?と思いながら送り出したのでそれなりに覚悟は出来ているし、今は飛行機、スカイプなど文明の利器に恵まれていますから昔とは違います。
船で何十日もかけて行かなければならない時代にチブリッツさんの気持ちを尊重したご両親の測り知れないほど深い愛情に思いをはせます・・
人生は時々残酷なくらい辛い決断をしなくてはならない時がありますねぇ・・あ、なんだか話が重くなってしまったわ、ごめんなさい。
捨てなくて良いと思います。
良いお話しですね。ウルっときそうになりましたが、じいさんのガラクタの件にウケました。(チブリッツさんのオチ、大好き♪)
Chiblitsさんと一緒に、青いトランクの姿を目に焼き付けました!
私もほんの短期間、アメリカの学校に居た事がありました。あの頃、帰国時に船便で送った箱など、しばらく捨てられずにいた事思い出しました。今度実家に寄ったときは、私も片付けようと思います。
さて、去年の震災直後、自分に何か出来ないか?右往左往していました。その時、偶然知る事になった、宮城県亘理町の「亘理いちごっこ」。被災地で頑張っています。
そこのブログにて、孫さん(ソフトバンク)が素晴しいプロジェクトを企画されている事を知りました。
被災地の高校生300名をこの夏休み3週間、カリフォルニア大学バークレイ校でリーダシップと社会貢献について学べるプロジェクトです。
なんと、参加費・渡航費無料!です。
亘理いちごっこのブログです:
http://watari-ichigokko.blogspot.jp/
バークレイ校は、Chiblitsさんのお家とは近いですか?
私は何も出来ないけど、拡散して応援したいと思います。よろしくお願いします☆
近かったらいただきに行きたいぐらいです!
ワタクシも 物持ちがよく 35年前に乗った飛行機の荷物タグがついたままの藤の旅行鞄がまだあります
鹿児島ー>大阪でしたがなんと 今はもう無いTDA(東亜国内航空)の文字入りです!!!
初めて乗った飛行機でしたね〜
捨てられない物のひとつです
娘さんにお電話しても、間に合いませんか?
ぜひぜひ、捨てないでほしいです。
45年前の素敵な思い出のつまったスーツケースですもの、もったいないです。
場所をとって邪魔になるなら、↑kakoさんに引き取ってもらってもいいじゃないですか。(笑)
娘さんに一刻も早くお電話を!
私も これは 捨てない派に一票だったのよ! うちの旦那のクローゼットを見てきたら、同じような頑丈な緑のお宝箱が鎮座しています。 祖父の物とか、入っているらしいです。 係累もいないし、アパート住まいなのです。夫の故郷のペンシルバニアに行くと
アンテークもがらくたも 古いものは珍重される気風があります。でも ペンシルバニアに引越す訳にもいかないので、将来、どうするのでしょう・・・義母の80年からのシーダーチェストと、100年経っているドウケースとか、引き継げないと残念です。子供時代のは 義母さんがとってあったものですが、成人してからは移動するたびに 全部運んできている、アメリカ人はそうなのかしら。 観葉植物も25歳だそうで、捨てようかと思っていましたが、自分の物でないと、難しいですね。うちにも娘さんが 必要ね。(^1^)/
チブリッツさん、私は カイザーから送ってきた健康促進の資料を読んで 昨日から転倒防止の足上げ運動をしています。物につかまって片足10秒上げる運動を 10回、これを一日3回します。 息を深くする、リラックスする。運動する時のコツが書いてありますが、もしご興味があるようでしたら、書いてみますので、知らせてね。
当時は船だったんですね〜。
私はアメリカには行った事がありませんが・・・。
あぁ〜・・・色々思い出します〜!
捨てたいけど捨てられないもの…ありますね〜。
素敵なお話で今日のスタートです。
転倒防止の運動は、好きな時に 何回でもと書いてあります。 バランスを崩さない体勢で続けていくと 転倒防止になるそうです。
椅子や台所のシンクにつかまってできます。
Mnanage urine leakageのコントロール運動が書いたり、 この方は コツを頭に入れて正しくしなさいとあります。私は 読んでみてまだ よく分かっていません。 資料は シニア向けの健康増進法の案内でした。今年、カイザーは 病気予防の資料を配布しているのが、助かります。 本当は うちの旦那も転倒予防の運動をすぐにも したほうがいいのですが、 良いと分かっていても すぐには やらないのですよ。ストレッチをしたことがないからでしょうか、妙に頑固です。
余り勧めないでいますが、はやくに気づいてほしいですね。 追伸が長くなってしまいました。
そんなぁ〜
私なら捨てませんよ一生の宝物だからずっと取って置きますよ♪
1967年って私まだこの世に生まれていないですよ〜
近かったらもらいに行くのに〜
そして私のアンティークテディベアコレクションをこのケースの中にいっぱい入れてお部屋に飾るのに〜☆
捨てるのはいつでもできますもう少し置いておきましょうよ(笑)
思い出を大切に手元に残して置くか、それとも捨てるかは本人にとってとても大切なことなのでしょうね!
決して物に固執しているわけではないのだけれど、思い出という大義名分の元に手元に置く
悪いことでは決してないと思いますよ
それに物を大切にしている事と後で使うかもしれないと、同じような感覚でいるとどんどん物が増えてしまいますよね。
それも仕方のないことだと私は思います
でも、キャパを越えてしまうと身動き取れなくなって自分で自分の首を締めかねませんね
でもチブリッツさんの中で割り切ることが出来、画像に残し手放すことが出来たのですから良かったですね。
画像は一枚綺麗な写真として残して、自分の思いでアルバムに貼り付けておいてもいいかも! ディスク保存もうっかり消失してしまう可能性がありますね・・・私よくやるんです;;
そうですそうです。
「捨てないで〜」ですwww
でももう捨てちゃったんですね。
お写真だからすごく素敵に見えるのかしら?
インテリアになりそうな気がするんですよ。
かわりに旦那様のパソコン関係のものを処分・・・・
は、させてはくれないんですよねw
「5年後に再び今度は結婚のためです」のところで、ひょ〜っ、ドキッとしました。あの、宛名だけはとっておけばよかったかなと思いました。
Chiblitsさんのお宅は広いので、置いておく場所があるので、物が捨てられないのではないでしょうか。
coucouさん、お近くかもしれないです。うちは幕張です。今日も桜がきれいでしたね。
Chiblitsさんが日本にいらしたときにでも、お近くのみなさんとオフ会ができたらいいですね!
トランクが取ってあったのは素晴らしいです〜。思い出のあるものって、買ったときの金額は関係ないのですね。
他のものだったらいざ知らず、私だったら一生とっておいてしまいそうです。
娘さん、容赦ないですな(笑)。
私は捨てる方に同意です(笑)
7才で母亡き後養子に出された時、満を持して養父母の家を出た時も着の身着のまま。
後年、旅行で日本を出たはずなのに、とうとう一度も自分の部屋に帰らず仕舞いで今に至ってます。
何度も諦めてきた仕業なのか元々なのか、人にも物にも執着しない性質のようで、唯一のスーツケースも遠に何処かへ。
往年、日本からの移民が沢山いたという炭鉱の跡地で、桐の箱ごと真っ黒になって転がっていた古い古いお雛様を見た時の無常は忘れられません。
あの時代、幼い娘のためにお母さんが日本から大切に抱えて持ってきたのかもしれないなどと、いろいろな想いが錯綜して涙が溢れました。
以来、その時のために極力自分の手で処分するようにしています。
家族には「葬式無用、墓無用、灰は川か続く海に流して」ともお願いしています。
風になってしまえたらどんなにいいでしょう{笑)
アンティークなインテリアになって良かったと思いますよ。
しかも思い出が詰まりすぎててよく決断なさいましたね。
娘さんもChiblitsさんの方が思い切りが良くて整理できるのがわかってらっしゃるのでしょう、じいさん様を説得するより簡単なのでしょうか。
胸が熱くなるお話し今日もありがとうございます。
こんにちは〜。
私もその頃アメリカに結婚の為に渡りました。もっとも私の場合は夫は日本人ですけれど・・・・。
chiblitsさんの本を拝見すると、私と同い年・・。
chiblitsさんはサンフランシスコ、私はNY、同じ頃アメリカの西と東でアメリカの空気をすっていたのですね・・。
今思い起こすと、すごくなつかしいです。
青いトランク、ちょっと残念です。
こちらはまだまだ雪景色が続いています。
いつもの年より寒くて、雪解けが進みません。
ビニールハウスの中ではキュウリやトマトの芽が出てきましたよ。
娘って、容赦ないですよね。私もですけど。
でも、思い切って捨てられてよかったですね。
一番思い出のあるものを捨てることができると、「もう、何でも捨てられるわ!」って思いますよ。
私も、息子に一人部屋を与える時、が大事にしてきたミニカーが捨てられなくて。その時「今の息子より、昔の思い出の方が大事なのか?」って言われて(ダンナさんに)自分の手でゴミ袋に入れました。
その時は「くっそーっ。」って思いましたが、だんだんすっきりしてきたことがあります。
思い出は鮮やかですよね。
後30年有るかも知れない命、老いるには早すぎます。
使えない物は全て捨てるのは賛成できない性分なのでこのような経緯のお話をお聞きすると涙が出ルホド残念です。
私は4〜5歳のとき貰った玩具を未だ持っています。
高校のセーラー服も持っていますよ(^▽^)/
88888888→今、8が鯛焼きに見えてしまいます!というのは、 久しぶりに まめ好きさんのブログにいってみたら、 なんと おいひそ〜な鯛焼きの写真があるではないですか!餡子が いかにも 上等な色です。 すっ飛んで帰ってきて皆さんに話したくなりました。共感したくなるのが 人情ですわね。ハハハ。あ〜、鯛焼き器まで 調べて 作ってみたくなりましたが、アメリカで道具を買うのは 大変でしょうね。 まめ好きさんのダイナミックなバースデーケーキも ありますよ! 誕生日は やっぱ、ケーキですね
そちらも地下とか物置になる場所があるんですね。 我が家の場合は車庫ですけどこういう場所があるとどうしても物置化してしまうんですよね。
あはははは!!本当に欧米人ってどうしてそんなに物持ちがいいんでしょうね。じいさんも子供時代のおもちゃを未だ持っていますよ。 信じられないです! う〜んじいさんのおもちゃは子供達も使わなかったし孫も使わないでしょう。となると捨てるしかないですよね。 だからいつも私が自分の物をすてないといけないのですよ。 昔日本から持ってきたレースのワンピース いくつかあったの、とっておけば良かった。最近はレースなんてあまりみないもの。
留学当時の8ミリまで残っているんですよ! 私が17歳の時の動画です。 いつか子供達にみせてあげたい。 子供達もみたことないのですよ。
矢張り17歳の時の体験っていつまでも忘れられませんね。 ホストファミリーと感謝祭やクリスマスのディナーを一緒にしたことを昨日のように思い出します。
分かります。 子供達の作ったものが一番捨てがたいです。じいさんの方がこういうものをちゃんと保管していて未だ残っています。
子供達は何で捨てないの・でしたか!! そうですね。私も一応子供達に見せて渡さなくちゃ。
私の実家は10回くらい引っ越したので両親が保管してくれていたものは成績表だけです。 成績表なんて要らないのに中学時代に書いたお友達との交換日記が欲しかった〜。
私もこのジャンクの整理は子供達にさせたくないのですよ。 なるべく整理が簡単に家の処分が出来るようにしておきたいのです。ってできるのか?
あはははは〜〜!!! 写真でもお分かりのように蓋はへっこんでいるし色はダサいしアンティークっていうものじゃないですよ!! ヒンジは壊れていないです。 ロックも未だしっかりしていました。でももう娘が持って行っちゃったです。 これがね、 もっと木とか皮を使ったトランクならアンティックになるかもですが。
娘はじいさんの方があきらめさせるのに難しいって分かっているから私の物の処分が多いんですよ。
私も5年間分のラブレターがある〜〜 あれはどうしょう。もう捨てるしかないですね。 でもきっと最後になるかも。
お久し振りです!!
はい、もう遅いです。 娘は何処に持って行ったのかな?
あははは!!これはインテリアに使えるようなものじゃないです。私も古い物は大好きなんですけど、これだけは〜〜。
第一色がださい!
30代はガレージセールや蚤市で古い飾り物や家具を買ったものですけど。 鳥かごまで買ったことがありました。 そういうものはガレージセールで処分しました。
そうですね。 ホームステイ時代の話もここに書いておかないと忘れてしまいそうですね。 今考えるとアメリカも良い時代でしたね。 カリフォルニアの生活と比べると信じられないくらい田舎生活でしたよ。
Tintinさんもアメリカに留学なさったのですか!! そして今は日本? 本当に運命って面白いですね。ダンボール200個って凄い!!!!
ちょっと量が想像できませんね。
Coucouさんのスーツケースはフランスに!!これも又面白いですね。 年月って恐ろしいくらいに早く過ぎていきますCoucouさんも今は15年ですけどあっという間に30年 40年になってしまいますよ。 アメリカに来た当時仕事場の方達日本人がアメリカに渡って25年と聞いたときはわ〜〜〜って思いましたけどね。
自分がいつの間にか40年。 自分でも信じられないくらいです。
千葉県は割りと大きな県ですよね。Blue Hillsさんのところ、 どうでしょうね。
はい、もう処分終りました。 そうですか、皆さんが未だ捨てないって書かれていますね。 確かにトランクですから物を詰めて使える方法はあったかもですね。
アメリカに行く前は両親と約束してアメリカから帰ったら大学も鹿児島から出ないっていう約束をしたんですけど、破っちゃいましたね〜。 なんか当時はやりたい気持が大きくてその場限りのでまかせ約束だったみたい。 とほほ でもその為に私は良心が咎めて アメリカに行っても両親をちゃんと見なくちゃという覚悟はありました。 でもね最後は私たちも文明の利器に恵まれて5年くらいはSkypeに似たソフト、Windows Messengerでビデオチャットをしましたよ。あれは本当に助かりましたね〜。
仰るとおりで私は両親の計り知れない愛情を受けて自分は本当に幸せだったと感謝しています。
私が結婚でアメリカに行くと決めた日は両親は泣きました。当時を思いだすと未だ涙が出てきます。でもねそのあと父は75才までアメリカに来て孫達と遊んで楽しい思い出もたくさんつくりましたよ。
捨てちゃいました〜〜〜
考えてみると私が17歳の時から持っているものってこのトランクだけでしたね。 そうそう!!! 当時絵が好きでモンタナで描いたスケッチ集は未だどこかにあるはずです。 これは捨ててないと思う。
桜丘の母さんもアメリカの学校にいらしたのですか!! 最近のお若い方達はアメリカやヨーロッパでホームステイをしている方は多いですね。 桜丘の母さんも当時のものを未だ持っていらっしゃるのですか!
いつもためになる情報を有難うございます! 去年トモダチ作戦はニュースでも聞きましたけどあれからこんなNPOを立ち上げていたんですね! 素晴らしい企画ですね!
バークレー校はここから1時間ちょっとです。娘が通った大学なのでよく行きましたよ! とても素敵な学生町ですよ。明日はブログで拡散しますね!
写真でもそんなによく見えるのでしょうか。 実際は蓋もヘッコンでいるし飾るのにはあまりにもみっともないです。
藤の旅行鞄ですか!! 素敵そう〜〜〜
それなら今でもインテリアのお店に売っていますよね。でも実際に鞄として使われたなんて!もっと素敵!
東亜国内航空 これも懐かしいですね〜 もうないのですか!私は17歳の時に初めて飛行機に乗りました。 全然怖くなかったです。 今のほうが怖いくらいです。
はい、間に合いません
Goodwillかチリ箱か どちらかに行ったと思います。
あははは! Kakoさんも実際にみてびっくり! もう少し上等を買っていたらアンティックとして使えたかもですけどね〜。
それにしても青いトランクには本当に沢山の思い出が詰まっていましたよね。私も捨てられないかもしれません。というのは私もこちらに来て早々チブリッツさんと同じぐらいのサイズの緑のトランクを買いましたけど、いまだに私のの部屋でサイドテーブルとして使っています。
1960年代の古いものをと家族にからかわれます。でもチブリッツさんが仰るように。
これからは身の回りのものを少しずつ処分していかなければと思っていますよ。
チブリッツさん、お返事いただき有難うございます。
宮城県亘理町の「亘理いちごっこ」はNPOになりましたが、昨年のトモダチ作戦とは別のものですので、一応お知らせまで♪
参考に、
TOMODACHIサマー2012ソフトバンク・リーダーシップ・プログラムのサイトを参考に貼り付けます:
http://usjapantomodachi.ayusajapan.org/
気候の良いカリフォルニアで、彼等の人生に素晴しい体験となる事を願ってやみません。
私は高2の時にカリフォルニアのベルモントで、夏休みだけホームステイをしました。
今でもそこのホームシスターとは連絡を取り合っています。他の国の文化や人々を知る楽しさや驚きを、自分の息子を含めて多くの若い人に経験してもらいたいと思っています。
ところで、モッツアレラチーズも好きですが、チェダーチーズ大好き家族です。
でもカロリー高いんですね!知りませんでした。
美味しいものって、大抵カロリーが高いんですよね・・。(笑)
でも実物が無くても思いは残ってますね。
ご無沙汰しておりました。
チブリッツさんもモンタナにいらしたのですか?!私も1980年ワシントン州セントヘレンズ山が噴火した時、その隣の州モンタナにおりました。Peace Forceの活動でした。
たくさんの思い出の詰まった青いトランクを、すっぱりと処分されたのですね?清々しいです。私も見習ってガレージの思い出の品を処分しましょう!残された人が困らないように。
1ヶ月前にVegan生活を始めてシンプルに生きることを考え始めました(*^.^*)
向田邦子さんと比べられるなんて! それはあまりにも向田邦子さんに失礼かと。 でも向田邦子さんは鹿児島に住んでいらしたんですよ。それは共通点。
ペンシルバニアだったらアンティックの宝庫でしょうね。 シーだーチェスト!素敵そう〜。 むべさんはそこに将来はすむ予定なのですか。観葉植物25歳、わかります。私も35歳のシダを最近捨てました。最初のアパートに住んでいる時にかったシダ。
最近久し振りに歩いたら足が弱っている事に気がつきました。矢張り毎日運動しないとだめですね〜。 今日は外は小雨で寒い。 カイザーからの資料なら私にも来ているかも!時々そういうのがきますよ! 読んでいないのだけど。
飛行機もあったんですよ!でも何故か旅行社は船を勧めていましたね。 こちらの日本人と話すと当時同じ船で渡米している人が結構多いのです。 お値段は飛行機よりも安かったです。 確か片道で7万円くらいだったような記憶です。
私もこれから運動します!!
4月は血液検査なんですよ。最近はまったく運動もしていなかったので検査に行くのが怖いです。
これから2週間運動してから検査に行こうかな。
女性のurine leakageの話はよく聞くのですがそんなに一般的な問題ですか。 これも避ける方法がある?
どうして男の人って健康に関してはこんなに頑固なんでしょうね。 女性の方がず〜っと柔軟性がある。うちの家族男性は全員わからんちんです。
は〜い 捨てましたよ。これを一つ捨てただけで車庫はまったく変わりませんけど。 一つ一つ処分していかなくちゃですね。
クックママさんはお若いのですね!
考えるとじいさんの要らないダンボールの箱が山のようにあります。 置く場所がないので車庫の屋根の梁の上に板を並べてそこにもおいてます。 先ずダンボールをリサイクルしないと。
でもね、これは飾りになるようなアンティックじゃないですよ。 色もダサいブルーだし。 もっとカッコイイブルーならね〜。
こんにちは〜
本当に!! センチメンタルになっていたら何も手放せなくなってしまう。 それにこのまま残して子供達に大整理の迷惑をかけたくない気持が大きいです。私以外の人には何も意味がないものですから。 そうです。 最近はね 写真にとって保管する事が多いんですよ。 こういう思い出のものだけじゃなくて、書類等も。 写真にして保管。 でもファイル名、フォルダー名をわかりやすくしておかないと後でさがすのが大変ですね。ドキュメントのフォルダーはexternalのハードディスクに保存していますよ。
はい、もう捨てちゃいましたよ。 うちのゴミ回収の缶は小さくて入らないので娘がもって行きました。 そうですよ!!写真の方がきっとよく見えるのでしょう。 薄っぽいメタルで蓋はへっこんでいるし決してかっこよくないです。
じいさんのもので処分したいのは空箱! 先ずは空箱を捨てなくちゃ!
あははは!! フリムン徳さんのエッセイは今日です。
家が広いとものが溜まる一方です。私はそうでもないのだけどじいさんはスペースがあるところには必ず物を置く。 じいさんの部屋をみると気が遠くなりますよ。 昔はこれほどなかったのにね〜。
今年は帰りたいです。伯父達にも会いたいし。 そして実家の整理をしないといけない。
オフ会もいいですね! 元気にしておかなくちゃ〜。
そうですか うさうささんも捨てませんか。 捨てたくない方多いのにびっくりしましたけど、それは実物を見ていないからでしょう。
娘と一緒に整理をしていると面白いですよ。 価値観が違うのがよくわかります。 私が捨てたいものを意外とこれはとっておこうっていう物もあるんですよ。 古い時計とか。 実家にあって祖父が買ったもので鹿児島の屋久杉でできた時計。 時計は壊れています。
凛さんは珍しく捨てる派でしたね!
7歳でお母様を亡くされたのですか。ご両親を若くして亡くされたお友達は何人かありますがその悲しみは経験したものにしかわからない辛さでしょう。
昨夜 帰米2世の実話 「万里子さんの旅」を読み終えました。 日本から一世として移民してきたご両親の苦しみや夢、そして親から離れて日本で幼女時代をおくった万里子さんの辛さ、想像を絶するものでした。 その中に一世は「葬式無用、墓無用、灰は川か続く海に流して」と遺言しているけど遺族はお墓を作る人が多いと書かれてある事が印象的でした。 お墓は遺族の為のものなんだなぁと思いました。
写真ではそんなによく見えるのでしょうか。 実際に見たら飾れるようなものではないのですけど。 写真って実物よりもよく見えるときが多いですね!
ふふふ 私にとってはそんなに難しい決断でもなかったです。
あははは ご察しのとおりですよ。 娘はじいさんを説得するより私の方がず〜っと簡単にあきらめますから私の物のほうが捨てやすいのです。
え〜〜〜同じごろだったのですか!
同じ年ですか!!
ねずみですよ! ネズミのようによく仕事が速くよく働きましたよ!
さちこさんは今でも東部にいらっしゃるのですか? じいさんは退職後は絶対にモンタナ州に帰ると決めていたのですが今ではすっかりこの気候が気に入っているようです。
お久し振りです〜
未だ雪景色ですか。 こちらもまだまだ寒いです。朝は7度まで下がります。
枝豆を植えたのにまったく成長止まったまま。 早すぎたみたいです。
ビニールハウスの中では暖房をつけるのですか? ビニールハウス、いいですね! 中は春ですね。
じいさんは何だか訳のわからないようなもの、子供時代からとってあるものがまだありますよ。 我が家ではじいさんのガラクタが95%ですね。 私の物は5% これ大袈裟じゃないです。
車も入れて。
我が家も息子のミニカーがたくさんありましたけど、何度かガレージセールをしたのでおもちゃは少ないです。 でもLegoが凄いです! これは孫にやってもいいかも。
私は自分の寿命に関してはなぜがず〜っと悲観的なんですよ。 母の寿命より短いかもと思ったり。
義理姉が最近家のリフォームをして台所を広くしたのですが私にも勧めるの。 あと何年の為に?と思うとする気がしないと言ったら未だ63でしょう!って同じ事を言われました。いいなぁ〜ポジティブな考え方が出来る人って。
え〜〜〜高校のセラー服もですか!!
私は実家にある父の着物とか母の着物を持ってきたいです。
とんでもない!とっくに捨てられていますよ。
私は本当に未練がないタイプなんでしょうね。 健康が理由で歯科技工のラボをやめた時 残念で残念で泣いたのです。 70までは仕事をするつもりで40で開業したのですから。 でも決めたらあっさりと道具は一ヶ月で全部売ってしまいました。その時も思ったんですよ。 じいさんがあんなに空箱を車庫にためていなかったらこうして道具を叩き売りすることもなかったのにって。でも金のスクラップだけは早く処分しなくて良かったです。 2年前金があがった時に売りました!これも娘がしてくれた。ははは
私も鯛焼きの型が欲しい〜〜〜
最近お菓子は和菓子がいいです。多分日本のスーパーに売られているかも。
ピサの斜塔をみてきましたよ!
まめ好きさんお若い方なんですね。そうですよね、子供さん達未だ若いし。
え〜〜〜〜同じ年に近くにいらしたんですね!
船だと13日かかりましたよ。 一番船底の安い4人部屋でしたけど、皆4人とも独身20代。 学校の寮みたいで凄く楽しい13日間でした。
へ〜みちこさんもトランクを買われたのですか。あの当時はこのようなトランクが流行っていたのでしょうか。そうしてテーブルに使っているのなら役に立っていいですね。そういえば今思い出しました! こちらについて家具もない時、これを卓袱台の代わりにしていました!
こんにちは〜
こちらは小雨で外は13度 寒いです〜
今日トップに貼り付けておきました。本当に!!こういう企画素晴らしいですね! 私は日本の青年達にどんどん海外に出て見聞を広めて欲しいと思っています。
わ〜〜ベルモントですか!ここからすぐ近くです。 娘のすむ市より一つ手前です。丘が多くて素敵な街ですね! サンフランシスコ空港が見えたりしますね。
私もチェダーが大好きなんです。実は今回調べるまでこんなに多いとは知らなかった!!
今思うと私の持ち物ではこれが一番古かったかもです。 それを思うとちょっと今残念な気持もあるかも。でももうそろそろ整理をしなくちゃという気持が強いです。
え〜モンタナにいらしたのですか! 何と言う町ですか? 私がいたところはHarvreという町です。 1987年に行ったきりです。 じいさんは出張のついでに何度か寄っていますけど親戚が亡くなってしまってからは全く行っていません。
Veganを始められたのですか! 私はちょっとできないかもです。じいさんがね〜。
私はHarvreから南西に202マイル行ったところにあるHelenaという町に1週間と、さらに67マイル下ったとButte と言う町に1週間滞在しました。22歳の初渡米でした。火山灰のせいで家に閉じこもっていましたが、ファミリーのお父さんが、「歴史的な出来事を一緒に経験できてすばらしいね!」と、笑った顔を今でも覚えています。この前向きな姿が好きでアメリカに再渡米することになったのかもしれません。
今気がついたのですが、この道、I-15はそのまま南下するとサンディエゴに続いています。いつも走っているI-15です!25年後に生活する場所に続いていたんです。わー、驚き!(すみません私事で)。
私もその後1回訪ねましたが、ホストファミリーの消息は不明になってしまいました。それにしても、広いアメリカなのにこんなマイナーな(?)州に行ったことがあるなんてIt's a small world ですね♪。
Vegan はまだ1ヶ月ですが、思ったよりも自然に続けられています。夫のほうが買い物に熱心になりました(笑)。
私 Bosemenに行く途中でHelenaを通りましたよ!モンタナ州の首都ですね。
Butteには行った事があるかどうか記憶にないですが名前はよく聞いています。確か昔鉱山があった町ですよね。
あの爆発の灰がモンタナ州まで来ていたのですか。 私はカリフォルニアにすんでいましたけどこちらは風向きじゃないので灰の害はなかったです。
I-15の地図を見ようと思ってGoogle Mapにいったら地図のことをすっかり忘れて全然別なニュースを読んでいました。 そしてそろそろ寝ようかと思ってブラウザーを閉じようかとおもったらこのコメントの書きかけがあるの。 えっ未だ書き終わってなかった!!そうそう地図をみて脱線したんだったって。私大丈夫ですかね。
私もホストファミリーとは不明になっています。 最後の連絡が1989年でした。 娘さんを探そうと思えば探せるかもです。 私も出来るだけ肉は少なく食べています。
1967年5月、父、母、弟(当時1歳)と私の4人で横浜港からクリーブランド号でハワイのホノルル目がけて、たしか8日間の航路でした。
当時は家族全員でアメリカへの移住は珍しいと言われました。と言っても私は当時まだ6歳。ですがとても楽しい船の旅だった事をハッキリ覚えてます。
両親は始めての海外、しかも家裁道具全てにピアノまで同じ船にのせて新居地へと目指したので、航路を楽しむどころか不安で一杯だったと思います。
両親は、今考えると何と恐ろしい事。でも若さだったのね〜・・・などと。
ホノルルに到着後ホームシックにかかり、3ヶ月で荷物をまとめ、また日本に家族で帰ってきました。
グリーンカードは2年間の間にアメリカに戻れば有効との事。
たったの3ヶ月でしたが、アメリカの生活の方が良かったのでしょうね。グリーンカードの有効期限が切れるまでにと、1年半後にまた家族4人でハワイに再度挑戦。それ以来のハワイ生活で両親は今、温かいハワイで老後をエンジョイしています。
私達子供たちはというと、両親をハワイに置いて今、東京に住んでいます。
父は84歳、母は80歳、でもまだ元気!時々日本に遊びに来ては東京のエレルギーをもらってのんびりしたハワイに戻っていきます。