東北大学臨床教授 岡山博氏の 焼却処分はすべきではない放射性廃棄物処理の正しい戦略と方法
横浜国立大学名誉教授 宮脇 昭氏 「いのちを守る300キロの森づくり」
福島のお母さん達から瓦礫の受け入れに反対をしてください。 ~福島の母親たちより~

devider

1966年 17歳の夏から翌年1967年の夏まで10ヶ月の間
私はモンタナ州の小さな町でホームスティをしていました
来た時はスーツケース一つでしたが
10ヶ月の滞在が終る頃は
自分が家庭科で作った洋服や 
記念品 本 アメリカの食べ物
持ち帰りたいものが沢山増えて
どうしてもスーツケースだけでは足りません
そこで船に乗せても良いようなサイズの
大き目のスーツケースを買う事にしました
人口1万5千人という町でしたから
家から前の道路を真っ直ぐ30分下りて行くと ダウンタウンに着きます
お金がない貧乏学生だったので
なるだけ安物を売っていそうなお店を物色していると
ショーウィンドーにはもう何年も同じものを置いてあるようなお店がありました
飾り物は日焼けして埃がつんで
いかにも安物の雑貨屋という感じ
今考えると あの町にはあんなお店しかなかったような気がします
中は大きな倉庫のようで歩ける程度に物が雑然と並んでいました
陶器のディナーセットから
ちょっとした家具まで 何でもありのお店でした
スーツケースもあったのですがちょっと小さめ
箱のように大きなのがいいと言ったら
青いトランクを見せてくれました
薄いメタルでできていたと思う
中は紙が貼ってあり 一応メタルなので作りがしっかりして
錠前も大きくて頑丈そうでした
結構大きなサイズでしたし 何しろお値段が安かったのです
確かな記憶ではありませんが多分8ドルくらいだったかも
迷わず それに決めました
この大きなトランクをどうやって持ち帰ったのか
記憶にありません
多分 お友達と行って 二人で運んだのでしょう
その夜 私は思い出の品々を一杯トランクに詰めて
大きい紙にこれから乗る船の名前 クリーブランド号
入港する港の名前 Yokohamaと 入港日
そして鹿児島の実家の住所を書いて青いトランクの蓋に貼り付けました
1967年の6月でした

それから5年後の1972年8月9日
私は再び同じクリーブランド号に乗って
サンフランシスコに向うことになったのです
私は24歳 今度は結婚の為です
そして青いトランクも再び太平洋を渡る事になりました
今度は衣類や雑貨だけでなく
大きな大きな夢と希望が一杯詰っていたのでしょうね


この青いトランクをですよ!
車庫のガラクタ整理をしている娘が見つけましてね
お母さん これはもう捨てなさいって
確かに 安物でとっておく価値は全くないものですけど

2012_04_08-trunk2

なんかね〜 こうして当時の自筆で
クリーブランド号 サンフランシスコ 8月9日って書いてあるし
最初のアパートのアドレスも懐かしいし
2回も太平洋を渡って来たトランクですからね〜

でももうこれでいいです
ここにちゃんと記録を残しましたから
これで青いトランクにさようならします

それにしてもどうしていつも私だけ捨てなくちゃならんの
じいさんのガラクタも一杯あるのに

捨てがたい気持を理解していただけたら応援を有難うございます。 
にほんブログ村 シニア日記ブログへ