先日Skypeで姉と話をしていたら「お父さんのいい写真があったら送って」と言います
それで
実家の父のパソコンから取り出して保存していた写真集を見ていたら
父と姉が一緒に写った写真が出てきました
この写真は2002年 姉が鹿児島の実家に帰っていた時
父が三脚で撮って私や親戚一同に送ってきた写真でした
確かメールの件名に「これが親孝行の娘です」と書かれてありました
父は当時 帯状疱疹後神経痛の痛みと
再生不良性貧血という病気で寝たり起きたりの生活だったので
姉が看病に帰っていたからです
写真にはちょっと小太りの姉が割烹着を着たまま
父のベッドの上に大の字になって寝ていました
父はその横で腰を曲げて片手をベッドの上に置き
自分の体を支えるような姿勢で
思いっきり哀れな格好で立っているのです
姉の事を一番良く分かっている私は思わず吹き出してしまいました
父がお手洗いに行っている間
姉は父のベッドの上にごろんとなってそのまま眠ってしまったのでしょう
父のメールにはそんな事は一切書かれてありません
「私の娘は病気の親をいたわるどころか私のベッドを占領しております」
のような事が一言書いてありました
これを親戚一同に送ったのです
何時でも何処でも簡単に眠れる特技を持った姉も可笑しいのですが
それを茶化す父にも笑ってしまいました
父はユーモアが絶えない楽しい人でした
どんなに病気で大変な時も可笑しい事を言っては私達を笑わせてくれました
20代で肺結核を病み その後もありとあらゆる病気を克服して
83歳まで生きたのは父の楽天的で明るい性格があったからでしょう
姉にはこの写真も送ろうと思いました。

今日もご訪問有難うございました。
それで
実家の父のパソコンから取り出して保存していた写真集を見ていたら
父と姉が一緒に写った写真が出てきました
この写真は2002年 姉が鹿児島の実家に帰っていた時
父が三脚で撮って私や親戚一同に送ってきた写真でした
確かメールの件名に「これが親孝行の娘です」と書かれてありました
父は当時 帯状疱疹後神経痛の痛みと
再生不良性貧血という病気で寝たり起きたりの生活だったので
姉が看病に帰っていたからです
写真にはちょっと小太りの姉が割烹着を着たまま
父のベッドの上に大の字になって寝ていました
父はその横で腰を曲げて片手をベッドの上に置き
自分の体を支えるような姿勢で
思いっきり哀れな格好で立っているのです
姉の事を一番良く分かっている私は思わず吹き出してしまいました
父がお手洗いに行っている間
姉は父のベッドの上にごろんとなってそのまま眠ってしまったのでしょう
父のメールにはそんな事は一切書かれてありません
「私の娘は病気の親をいたわるどころか私のベッドを占領しております」
のような事が一言書いてありました
これを親戚一同に送ったのです
何時でも何処でも簡単に眠れる特技を持った姉も可笑しいのですが
それを茶化す父にも笑ってしまいました
父はユーモアが絶えない楽しい人でした
どんなに病気で大変な時も可笑しい事を言っては私達を笑わせてくれました
20代で肺結核を病み その後もありとあらゆる病気を克服して
83歳まで生きたのは父の楽天的で明るい性格があったからでしょう
姉にはこの写真も送ろうと思いました。
今日もご訪問有難うございました。




















コメント
コメント一覧 (34)
お父様のお話で、祖父の晩年を思い出しました。祖父はとても頑固な人でしたが、皮肉のきいたジョークも言う人でした。
たしか、80歳を過ぎてから、食道がんが見つかり、本人には知らせず、手術もせず、痛みだけのぞいての入院生活でした。
なかなか医者に行かずに、病気が判明した頃には固形物はほとんど喉を通らない状態で、入院後は点滴で栄養を取っていました。
私が、もし何でも食べていいよと言われたら何食べたい?と聞くと、しばらく考えて...「そうだな、ビフテキ」とにやりと笑いながら言いました。祖父は肉はあまり好きではなく、ビフテキなぞ一度も食べたことがないのに。もしかしたら、ビフテキがビーフステーキのことだとも知らなかったかも?
入院中一度も痛いと文句を言わなかった、明治生まれの祖父の忘れられないエピソードです。
なんだか今日のお父さまの記事を読んでいて涙が出そうになりました。
私の父は性格が超変わり者で、声も大きく(近くで話すと脳みそが揺れてしまうんです!)
一緒にいると疲れきってしまうので、もうずいぶんの間苦手に思っています。
でもつい今日話して、わたしの仕事や夢のことを考え、支え、応援してくれているのを知って反省しました。
そんな矢先、Chiblitsさんの記事を読んでいて父との時間をもっと大切にしなくちゃと痛感させられました。
なかなか気持ちはガラッと変えられないけれど、なるだけ仲良くして行こうと思います。
チビッツさんと知り合った頃は看病真っ最中で父は生きてたんだとしみじみ
お互い、結核を患った父を持って、色々学んだ事は多かったですね
この世の中すべてユーモアで乗り切らなくちゃ!と思ってますがなかなか実践出来ません・・・
私の父も厳しいけど、ユーモアはある人。
蜂にさされた方を診て、「こんなハチをみたのはハチめてだ〜」って言ったそう。
それがたまたま私の友人のお父様だったので、そのお父様から聞いたのですよ〜。
家族の前では厳しい顔の方が多かったですからね。
でも、段々と歳を取って、家族の前でも丸くなり、ユーモアいっぱいの父になってますね。
そんな父も今入院中です・・・
娘パワーでなんとか元気になって!!と願ってる毎日です。
最近「寿命」ってなんなんだろう・・・って考えちゃいます。
チブリッツさんのお父様はあんなに陽気でいらっしゃったから(以前のお話から)、そんなに大変なご病気があるとは思えませんでした。再生不良性貧血ってそれ、白血病じゃなですか! 実は大学の友達がそれだったんです、彼女は寮で食事中突然倒れたりしてました。お姉さまは、私と同じ特技をお持ちですね。私も何処ででも眠れますよ、立ったままでも!(爆)
津波の義援金集めで、私は今回「折り紙コーナー」を任されているので、今試験的に色んなのを折ってます。私元々アート志向だから「折り紙」ってやり始めるとドンドン嵌って行くんですよ。お内裏様&お雛様、すっ飛ぶ蛙、羽ばたく鳥、箱物、良く飛ぶ飛行機、など等、さっきから折りまくってます。これをエゲレス人に教えてあげるのが難儀だなぁ、はぁあ。(前あったふにゃふにゃの記号がこのキーボードにはないのよぉ)
でもこのラップトップはデカイし本当に使いやすくて便利です。機能も沢山付いてるし250ポンド位(w/Qポン)ってホント信じられないです。息子が何度も「オレのと交換しない?」って煩いんですよ。(爆)彼はイギリスに来てすぐ買ったんですが同じToshibaでも小さいラップトップなんです。あんなアッチコッチ持ち運びする人にはあの小さいので充分です。
明日から息子の友達がスリープ・オーバーに来るから、久々に若者向けにカロリーの高いもの沢山作りますよォ、もちSweetsのベーキングも超アリですよ。(笑)私の自制心が試される時が来た!
Chiblits さんの性格はきっとお父様に似てらっしゃるのね。
>83歳まで生きたのは父の楽天的で明るい性格があったからでしょう
その通りだと思います。 私の母も公害認定を受けたぜんそく患者で
特異体質のため体に合う薬が無く死ぬまで副作用に苦しみましたが
大学病院の先生には母の明るさがなければ80歳までは
とても生きられなかっただろうと言われました。
残念ながら私はあまり母に似ていなくてマイナス思考が
強いです。 ちょっとは見習わないと長生きできませんね。
私自身はちょっとマイナス思考でグジグジしてしまうところがあるので、子ども達には夫から前向き思考を学んで欲しいと思っています。
自分がユーモアが無ければユーモアのある人と住むだけでも得ですよね。
母は静かで冗談を言う性格ではなかったのですが父が年中冗談を言う人だったので母にはとても良かったと思います。そうですね、人にはそれぞれのレベルで喜びや楽しみがありますよね。私も小さな事で幸せを感じるのは好きです。
こんばんは〜!
Torino in snowのお祖父様も食道癌だったのですか。私の祖父もです。 ところですみません、話が変わるのですが、お祖父様は晩酌をなさいましたか? 祖父も手術はしないで放射線治療だけでした。不思議ですね。 最後は母は、伯母、私、いとこ達と交代で夜の看病をしたのですが、最後まで痛がりませんでした。とても似ていますね。 お酒をのんで顔が赤くなる人が晩酌をすると食道癌になりやすいとニュースで読みました。
ふふふ、ビフテキでしたか。祖父は鯛でした。 お刺身だったのか煮たのかよく記憶がないですが。
あははは 脳みそが揺れてしまうって面白い!
私の父も声が大きくてよく喋る人だったので一緒にいると疲れてしまいましたよ。
親が子供のしている仕事を誇りに思って応援してくれるのは凄く嬉しいものですよね。 ちひろさんは一緒にお父様と住んでいらっしゃるのですか? そしたらそれだけでも親孝行ですよ。
そうだったのですか。 お父様を看病中だったのですか。最近お亡くなりになったことは伺っていましたが。 だからmagさんは食事療法に詳しかったり厳しかったりなんですね。 病人の食事係りをすると本当に色んな事を勉強しますよね。
あははは「こんなハチをみたのはハチめてだ〜」って面白いお父様ですね! 私のお友達もこういうタイプの頭の回転を必要とするジョークをとばす人がいますけど、その場をぱっと明るくしますよね。
私も両親を亡くして生まれて初めて「死」を身近に感じました。自分の死も。 初めて人間はいつかは死ぬんだと分かりました。自分の中で大きな変化があったのですが、良い変化なのか悪いのかよく分からないような。
実は写真を載せようかどうしょうかと迷ったのですが後で姉妹仲が悪くなると困るので止めました。
そうです。再生不良性貧血は難病指定です。白血病は白血球の病気ですよね? 再生不良性貧血は赤血球が減る病気で貧血、呼吸困難を起こします。1998年に発病して2003年に亡くなったのですが原因はその為に飲んでいたステロイドの副作用です。ステロイドは本当に怖い薬です。
折り紙は明日ですか。頑張ってください!
歳をとったら(失礼)段々大きなのが良くなりますよね。私のモニターも大きいので文字拡大をして読みます。 テレビの字幕が段々読みにくくなったのでおおきなテレビに変えようと思っています。 うわ〜いよいよお菓子作りですか。
私も自分で父の性格に似ていると思います。 父のように明るくないですが。 私が似ているというのは欠点の方。
本当に性格って寿命を左右しますよね。 私は家族の心配が一番おおきなことかな。 自分の健康が気になるのはじいさんの事も娘の事も心配なので未だ死ねないって思うんですよね。
配偶者が楽天的であるかどうかは凄く自分に影響しますよね。 娘夫婦は娘が心配症で婿が楽天的です。 私達夫婦は私が楽天的でじいさんはその反対。 じいさんが私の足を引っ張っている感じです。
料理の検索をしていたときに行き着きました。
お父様のユーモアのあるエピソードを読んで、自分の父親とも重ねてしまって心がほっこりしてしまいました。
私の父は病気ではないのですが大怪我を何度も経験して、今は呆けてきています。若き日の威厳のある父はもういないのですが、私を沢山愛してくれて、沢山教えてくれて今の私がいます。
私の父にも長生きしてもらいな、と思った内容でした。ステキなエピソードをありがとうございます!
素敵なお父さん。
ユーモアのあるお父さんの血は、しっかりChiblitsさんの体内に流れているのを感じました。
やっぱり、人生の潤滑油はユーモアだ!と思いました。
お姉さん、懐かしい写真を喜ばれるでしょうね。
でもChiblits さんのコメント
>ユーモアのある人と住むだけでも得ですよね。
を読んで、面白いって意外と結構いいことなのかも、って思いました。
もちろんお父様のユーモアは素晴らしいと思うのですが、私はむしろお姉様のおおらかな性格に安らぎを覚えるのです。
看病ってする方もそうですが、される方も辛いですよね。つい病人に対して腫れ物に触る様に接してしまい、かえって病人を辛くさせてしまう事ってありますよね。でもお姉様はおおらかに眠っておられる。お父様も苦笑された事でしょうね。
実は成人した娘がそうなのです。ここ20年以上年に一回日本に里帰りをします。娘は祖母(私の母)と本当に仲良しなのです。今年は94歳ですが、ここ数年は痴呆症で私達の事は良く分からないのですが、お客が来ると喜んでくれます。昼間は自分が昼寝をする際、娘にこっちにおいでとベッドに誘うのです。娘もいやがらずに横になりそのまま、一緒に昼寝してします。それを見ていて、年寄りを嫌がらない娘に感謝してしまうのです。
つい我が家の事とお姉様の事が重なってしまいました。
再生不良性貧血症、祖母もそうでした。若く亡くなりました。人にはそれぞれ寿命がありますが、その人生をユーモアで生きた方はご本人だけでなく周りも温かく包むでしょうね。後々までそんな思い出を残してくれる人格は素晴らしいと思います。
あ、前回の記事のコメ返しですが、私、ダイエットで断食でなくてイスラム教なんです。だからラマダンで日中は食べていないんです。全部動画見ました。数日かけて作り上げるパンですよね?がんばらねば・・・。
福岡 姪浜では、15日に灯篭流しと、花火が上がります。うちのベランダから見えます。
Chiblitsさんのお話で私も亡くなった母の事を思い出しました。肺癌で苦しかったのに本当に最後まで明るさを失いませんでした。同じ境遇だったら自分はあんなふうに頑張れなかったと思います。看病していた私達姉妹も母の笑顔に救われていたんだと思います。お盆は故人を偲んで好きだった物を供えてあげたいと思います☆
友人達との話題に親の介護が必ずあがります。
私の母は幸いに元気で、孫や孫の友達から慕われています。
ネガティブ志向の母ですが、孫達には元気いっぱいに接しているようで 楽しい、かわいいおばあちゃんと言われているのですよ、 82の母の元気の源は若者と接することだと孫達 及びその友達には感謝です。
息子の転勤先の岐阜に行って、荷ほどきの手伝いに行ってきました。 岐阜市は古い町並みがたくさん残っていました。20分ほど電車に乗ると大都会の名古屋に行けると言うのもまだ若い息子にとっては嬉しいことのようでした。
祖父は晩酌を欠かしませんでした。
真夏以外の肴はだいたい湯豆腐(本当にお豆腐を温めただけ)かお魚。飲むと真っ赤というほどではありませんが、目の周りや首の辺りが赤くなってたように記憶しています。
白内障の術後だったか、お酒をやめないと薬の効果が出ないと言われ、じゃ、薬をやめる、と言うくらい、お酒が好きでした(笑)
故人の思い出って、優しい気持ちなることが多いですね。いいことばかりが思い出されます。
Chiblitsさんのお祖父様と共通点があるなんて、じいちゃん、やるなぁ、って、なんだかうれしいです。
お父様の記事だったのに、失礼しました。
初めまして!
大怪我をなさったのですか。 そういえば父も大怪我をしたことがあります。
私の母も最期の6ヶ月、父が亡くなってから急に認知症が進みました。 今はその時の母を殆ど思い出しません。 思い出すのは楽しい思い出で私が尊敬していた母だけです。 ふーみんさんも今よい思い出を沢山作っておくといいですね。
家族から私は父似と言われます。 最近は顔も似てきたと言われます。 でも短所も似ているので困ったものです。 でも私は父ほど楽天的じゃないのですよ。 父はどんな病気をしても心配しない人でしたね〜。 75才の時に胃癌が分かって手術をしたのですが、亡くなるまで自分は胃癌じゃないのに胃を取られてしまったと言っていました。 私達が「お父さん、何を言うの。 癌だったんだから」って言ったのですが、こういうの普通逆じゃないかって思い反省しました。 私は病気には小心者です。
「面白い」って褒め言葉ですよ!!! 私は可愛いって言われるより面白いって言われた方がいいな。
ユーモアを言うタイプ、楽天的だけどユーモアを言わないタイプ。 色々ですよね。 娘が家に帰ってくると凄く笑うんです。じいさんのジョークが可笑しいって。 娘の夫は超楽天家なのに冗談は言わないのですよ。
きょうこさんのコメントを読んで何故か涙が出ました。 仰るとおりだと思いました。 姉と私はかなり性格が違って私は父を「腫れ物に触るように」看病していたと思います。よく言えばしっかりしていたというのか。 父の薬は絶対に忘れない、お手洗いの時は転ばないようについていくとか。 でも姉の時はこうして父がお手洗いに行く時はベッドで昼寝です。 時々姉が頼りなくて腹も立ちましたが父は姉が来るとこんな姉をからかって楽しんでいました。私はあの姉であのままで凄く良かったのだと思うようになりました。
お父様は随分若くて亡くなられたのですね。
再生不良性貧血症って父がなるまで聞いた事もない病気でした。 父が発病したのは78歳の時でした。 この病気の原因は分からないそうですね。
そういえばラマダンってアンさんのコメントに書かれていましたね!
はい、この系統のパンは面白いです。 毎回違う風に焼けるので。作り始めるとはまってしまいますよ。
確か九州は遅れ盆なんですよね。 そして関東は7月がお盆ですよね。
私は日本で灯篭流しを見たこともないのです。 鹿児島では何処でするのかな。
アメリカのお盆は5月。 今週末は普通の週末なのでちょっとさびしいですね。明日はじいさんとお墓参りの予定です。 おはぎを作りすぎてしまいました。
笑うことは免疫アップですね! 本当に。
何か可笑しくて笑うと気分が良いですもん。
本当に私の姉は変わった人です。 100万人に一人しかいないような性格かもです。
オアシスさんもお母様を亡くされたのですか。私も両親を亡くして死について色々考えるようになりました。 それまでは親も自分も永遠の命みたいに思っていました。 この7年、今でも親がいるような気持ちになる時があります。 電話をしたら母が電話に出るのではと思う時があります。
私の両親は父が83歳、母が79歳でした。母は50代の始めから糖尿病があったので79歳というのは長生きだったのかも。 自分で糖尿病は寿命が10年早くなるって言っていましたから。私と同じ歳の日本のお友達、ご両親が健在って覆いのですよ。 もしかしたら90誓いか超えているのかも。父が生きていたら90ですからね。 私のお友達もご両親の介護の話が多いです。
本当に!若さと健康の秘訣は若い人と一緒にいることです!! 娘夫婦が帰ってくれるので助かります! これに孫がいつも居たら言う事ないのにね〜。そしたら私も絶対に長生きすると思う。 岐阜市ってそんなに名古屋に近いのですか!
こんばんは〜!
矢張りそうですか! 晩酌を毎日する人、少量のお酒でも食道癌になりやすいそうです。 私なんて一口飲んだだけで顔がまっかっかですよ。 幸い好きじゃないので問題ありませんが。 でも姉はお酒が好きなんです。 晩酌はしないようですが、夜寝る前義理兄と一緒にワインを飲む時が多いです。 顔が茹でたこのように真っ赤。 あまり飲んで欲しくないのですが。 私もコーヒーを飲むと胃痛になるといいながらなかなか朝のコーヒーを止められません。