桜丘の母さんから拡散リクエストです。
Tomodachi サマー 2012 ソフトバンク リーダーシッププログラム
東日本大震災の被災地域の高校生を対象とし、全面的に支援するプログラムです。このプログラムでは、夏休みの3週間を利用してアメリカ、カリフォルニア州のカリフォルニア大学バークレー校でリーダーシップスキルと地域貢献について学びます。皆さんがグローバルな視点でリーダーシップスキルを習得することを目的としています。 300名、完全無料。〆切4月16日。0120-955320
詳しくはここをお読みください。

小さな田舎町の外れに小さな車の修理屋をやっと見つけた。一目でラテン系とわかる背の低い親父さんは、スペイン語の訛りのある英語で相手をしてくれた。パンクを直してもらい、デビットカードで代金を払おうとしたら、現金でないとだめだと言い。「今度ついでの時に持ってきたらよい」と言う。この町のレストランはカードを取るが、ほとんどの小さな店は現金しか受け取らない。ラテン系の農場労働者がほとんどの町である。
彼らは銀行をあまり利用しないという。町には銀行は2軒しかない。農場の雇い主から1週間か、2週間に1回もらうチェック(小切手)は銀行へ行かないで、グロセリー(雑貨屋)へ行って、買い物をしながら、現金に換えてもらう。畑からの仕事着のまま、銀行には入りにくい。それといくらスペイン系の人口が多くても、銀行では英語がいる。英語の出来ない彼らには銀行は入りにくいのだろう。だからこの町のほとんどの小さな店は現金しか受け取らない。白人の多くは現金じゃなく、カードで買い物する、ラテン系の農場労働者は現金で買物をする。デビットカードやビザで買い物するフリムン徳さんは肌色はラテン系に似て浅黒いが、買い物の習慣はアメリカ人に似ている。
事務員がまだ来てないから、コンピューターが使えないらしい。「お金は今度寄った時に持ってきたらいいですよ」、といとも簡単に言うではないか。「私はこの町じゃない、隣町に住んでいる、滅多に来れないよ」、「ええ、かまわないよ」。顔つきも違う人種をいとも簡単に信用するこの背の低い男、首をひねりたくなり、思わず彼の顔を眺め倒した。 私の家から車で30分ほど北にあるキングシティーという町でのことである。町の回りはどこを見ても広い野菜畑が果てしなく続く。緑の広大な野菜畑の中に町があるみたいだ。5、6人の人が固まって、鍬で、畝の合間の草をとっている姿はあまりにも小さく見える。大きなトラクターがも菜の畝と畝の間をゆっくりと歩いているように動いている。のどかな風景が広がる。
フリーウェイ101号のすぐ東側にセイフウェイと、大きなリーメモリアル病院がある。病院へ行っても、セイフウェイへ行ってもラテン系の人がうようよしているという感じだ。街の一番大きな商店街は東西に走るブロードウェイ。日曜日はラテン系のカウボーイハットをかぶり、先のとんがった皮靴に、大きなバックルのベルトで身を固めた、背の低いメキシカン・カーボーイたちが商店街を歩いている。白人が歩いているのを見たことがない。子供を載せたベビーカーを押して歩くラテン系の女の人達も目立つ。彼らは野菜を作るのも上手だが、子供をつくるのも上手のようである。彼らの後ろから、風に乗って聞こえてくるのはスペイン語だけだ。でもここはアメリカである。
今この町が揺れている。「あの 町はちょっとなあ」と私の住んでいる町の白人達は言う。一昨年、去年、今年と、困ったことがこの町に続いて起きた。昨年は、市が破産したのである。市の偉いさんが、市の金を持ち逃げしてどこかへ消えてしまったのである。去年から今年にかけて市にひとつしかない大きな病院が閉鎖されている。病院の経理がずさんで病院に金がなくなったのだ。私が強制入院させられたのも、脱腸の手術を受けたのもこの病院である。私のホームドクターはこの病院のパーキングに車を停めて、ナンバープレイトを盗まれた経験があるという。この街外れに住む、知り合いの日本人も何回も家に泥棒に入られて、とうとう、この町から北へ50分ほどのサリーナスという日系人の多い町へ引越ししてしまった。どうしてこんなことが続いて起きるのだろうかの原因を私の村ブラッドレーの白人達は話したがらない。彼らはたてまえとして政治の話、宗教の話、人種の話は好まない。
私は17、8年前、私がロスアンジェルス郊外の町、サウス・エルモンテで小さな大工工場を借りていた時のことを思い出した。向かいの工場のボスはアメリカの永住権を持ったメキシカンだった。彼も私と同じくメキシカンのヘルパーを使って溶接屋をしていた。彼は買い物か何かで工場を留守にする時は必ず、私に、自分のメキシカンヘルパーを注意して見てくれと頼んで出ていった。彼は自分もメキシカンでありながら、自分のメキシカンヘルパーを信じなかった。日本人の私を信用した。
「お金は今度寄った時に持ってきたらいいですよ」、初めて会う人間、しかもラテン系の人から、日本人の私がこんな言葉なんて聞くと思っていなかった。こんな経験はアメリカに30年以上も住んでいて、初めての経験だ。聞いた時は、そうでもなかったけれど、家へ帰る車の中では「日本人は信用されている」、この言葉が頭いっぱいになった。うれしさと、楽しさと、少し興奮すらした。もう誰かにしゃべりたくなって、すぐに初めに会った友人のバブにこの話をした。もうその日1日中うれしい気持ちでいっぱいだった。私を信用してくれたのよりも日本人として信用してくれた気がした。アメリカで苦労してまじめに働いて日本人の信用を高めた一世の日本人のことを思い出した。
この町がバンクラップしたのも、病院が閉鎖されているのも新聞では大きなニュースかもしれない。でも私にとっては、なんといっても日本人を信用した車屋の小さな出来事がビッグニュースである。 6-2008
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」
を出版されています。

最後までフリムン徳さんのエッセイを読んでくださり有難うございました。 そして応援も有難うござます。

Tomodachi サマー 2012 ソフトバンク リーダーシッププログラム
東日本大震災の被災地域の高校生を対象とし、全面的に支援するプログラムです。このプログラムでは、夏休みの3週間を利用してアメリカ、カリフォルニア州のカリフォルニア大学バークレー校でリーダーシップスキルと地域貢献について学びます。皆さんがグローバルな視点でリーダーシップスキルを習得することを目的としています。 300名、完全無料。〆切4月16日。0120-955320
詳しくはここをお読みください。
小さな田舎町の外れに小さな車の修理屋をやっと見つけた。一目でラテン系とわかる背の低い親父さんは、スペイン語の訛りのある英語で相手をしてくれた。パンクを直してもらい、デビットカードで代金を払おうとしたら、現金でないとだめだと言い。「今度ついでの時に持ってきたらよい」と言う。この町のレストランはカードを取るが、ほとんどの小さな店は現金しか受け取らない。ラテン系の農場労働者がほとんどの町である。
彼らは銀行をあまり利用しないという。町には銀行は2軒しかない。農場の雇い主から1週間か、2週間に1回もらうチェック(小切手)は銀行へ行かないで、グロセリー(雑貨屋)へ行って、買い物をしながら、現金に換えてもらう。畑からの仕事着のまま、銀行には入りにくい。それといくらスペイン系の人口が多くても、銀行では英語がいる。英語の出来ない彼らには銀行は入りにくいのだろう。だからこの町のほとんどの小さな店は現金しか受け取らない。白人の多くは現金じゃなく、カードで買い物する、ラテン系の農場労働者は現金で買物をする。デビットカードやビザで買い物するフリムン徳さんは肌色はラテン系に似て浅黒いが、買い物の習慣はアメリカ人に似ている。
事務員がまだ来てないから、コンピューターが使えないらしい。「お金は今度寄った時に持ってきたらいいですよ」、といとも簡単に言うではないか。「私はこの町じゃない、隣町に住んでいる、滅多に来れないよ」、「ええ、かまわないよ」。顔つきも違う人種をいとも簡単に信用するこの背の低い男、首をひねりたくなり、思わず彼の顔を眺め倒した。 私の家から車で30分ほど北にあるキングシティーという町でのことである。町の回りはどこを見ても広い野菜畑が果てしなく続く。緑の広大な野菜畑の中に町があるみたいだ。5、6人の人が固まって、鍬で、畝の合間の草をとっている姿はあまりにも小さく見える。大きなトラクターがも菜の畝と畝の間をゆっくりと歩いているように動いている。のどかな風景が広がる。
フリーウェイ101号のすぐ東側にセイフウェイと、大きなリーメモリアル病院がある。病院へ行っても、セイフウェイへ行ってもラテン系の人がうようよしているという感じだ。街の一番大きな商店街は東西に走るブロードウェイ。日曜日はラテン系のカウボーイハットをかぶり、先のとんがった皮靴に、大きなバックルのベルトで身を固めた、背の低いメキシカン・カーボーイたちが商店街を歩いている。白人が歩いているのを見たことがない。子供を載せたベビーカーを押して歩くラテン系の女の人達も目立つ。彼らは野菜を作るのも上手だが、子供をつくるのも上手のようである。彼らの後ろから、風に乗って聞こえてくるのはスペイン語だけだ。でもここはアメリカである。
今この町が揺れている。「あの 町はちょっとなあ」と私の住んでいる町の白人達は言う。一昨年、去年、今年と、困ったことがこの町に続いて起きた。昨年は、市が破産したのである。市の偉いさんが、市の金を持ち逃げしてどこかへ消えてしまったのである。去年から今年にかけて市にひとつしかない大きな病院が閉鎖されている。病院の経理がずさんで病院に金がなくなったのだ。私が強制入院させられたのも、脱腸の手術を受けたのもこの病院である。私のホームドクターはこの病院のパーキングに車を停めて、ナンバープレイトを盗まれた経験があるという。この街外れに住む、知り合いの日本人も何回も家に泥棒に入られて、とうとう、この町から北へ50分ほどのサリーナスという日系人の多い町へ引越ししてしまった。どうしてこんなことが続いて起きるのだろうかの原因を私の村ブラッドレーの白人達は話したがらない。彼らはたてまえとして政治の話、宗教の話、人種の話は好まない。
私は17、8年前、私がロスアンジェルス郊外の町、サウス・エルモンテで小さな大工工場を借りていた時のことを思い出した。向かいの工場のボスはアメリカの永住権を持ったメキシカンだった。彼も私と同じくメキシカンのヘルパーを使って溶接屋をしていた。彼は買い物か何かで工場を留守にする時は必ず、私に、自分のメキシカンヘルパーを注意して見てくれと頼んで出ていった。彼は自分もメキシカンでありながら、自分のメキシカンヘルパーを信じなかった。日本人の私を信用した。
「お金は今度寄った時に持ってきたらいいですよ」、初めて会う人間、しかもラテン系の人から、日本人の私がこんな言葉なんて聞くと思っていなかった。こんな経験はアメリカに30年以上も住んでいて、初めての経験だ。聞いた時は、そうでもなかったけれど、家へ帰る車の中では「日本人は信用されている」、この言葉が頭いっぱいになった。うれしさと、楽しさと、少し興奮すらした。もう誰かにしゃべりたくなって、すぐに初めに会った友人のバブにこの話をした。もうその日1日中うれしい気持ちでいっぱいだった。私を信用してくれたのよりも日本人として信用してくれた気がした。アメリカで苦労してまじめに働いて日本人の信用を高めた一世の日本人のことを思い出した。
この町がバンクラップしたのも、病院が閉鎖されているのも新聞では大きなニュースかもしれない。でも私にとっては、なんといっても日本人を信用した車屋の小さな出来事がビッグニュースである。 6-2008
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」

最後までフリムン徳さんのエッセイを読んでくださり有難うございました。 そして応援も有難うござます。





















コメント
コメント一覧 (14)
市の財政破たん!よりも、そのおじさんの「今度ここに来たら払ってね」が心温まりますね。
時々ですが、福岡でバスに乗って降りるときコインがなかったり両替できない5000円とか10000円しかなかったら。バスの運転手さんが「今度乗ったら今日の分払ってね」そうおっしゃるときがあります。そういうアナウンスを聞くと嬉しくなります。
まるで昔の大阪のようなハナシでんな。
私の幼い頃、近所のうどん屋やお好み焼き屋などでは
当たり前のようにツケで食べとりました。
店も客もお互いに信用しあってる。
こちらに来た日本人の先人達の血の滲むような努力の賜物で
「日本人は信用出来る」と思われるようになったのに
今の日本はオカシナ事が多いでんな。
大阪の財政もえらい事になってるし。
でもな、徳さん。
そのおっちゃんは徳さんを一目見て
「このオッサン(すんまへん)なら信用出来る」と思わはったん
ですわ。徳さんの人柄でもおますな。
徳さんのハゲ(こらまたすんまへん)頭に「信用」の文字が
ピカーっと輝いてたんでっせ。
フリムンさん、
私も読んでいて、嬉しくなりました!
かえるさんが仰るように、私もフリムンさんのお人柄だろうな〜って思います。
私は若い頃、お財布を持っていない事に気付かずに、お店で飲食した事がありました。(汗)
レジで会計しようとして、カバンに財布がない!焦りました〜。まだ18才か19才の予備校生の頃です。お店の人に説明したら、「次回必ず」と言われました。
翌日一番で、そのお店まで支払いに行った事思い出しました・・。
今となっては笑い話ですが、当時はトホホな赤っ恥でした。
チブリッツさん
TOMODACHIサマーのプロジェクト、貼り付けていただき有難うございます。
対象の高校生だけではなく、バークレイ周辺の在米日本人の皆様にも知って戴けて嬉しいです。
ベルモントはご近所なんですね。お天気が良いとサンフランシスコ湾?が見渡せて、素晴しい場所でした。とっても懐かしいです。
苦労を重ねた甲斐があったと草葉の陰(ちと古いな)で喜んで居られる事でしょう。
メキシカンは人が良く優しそうですよね。
昔、ティワナを旅した時にお土産売りのおばちゃんに「もっとまけて〜ポルファボール(?)」と言ったら悲しそうな顔が今でも忘れられません。
悪いヤッチャ。私は
中学生の時に先生が生徒の嫌がらせを苦に自殺した事件で人間関係がぎくしゃくし、理不尽な校則で生徒を管理し、それが嫌で不登校寸前になった経験をした私は人間不信になったことがあります。
そんな私を救ったのが明石家さんまさんが出たドラマでの「俺を信用せいや、人間ってもっとええもんやで」という言葉です。
アメリカでこういう話を聞くのがうれしいです。
チキンスープを作って、シャワー室のラグを洗濯、ちょっと居眠りもしました。肌寒いけど、 苗を植えようかと思います。パセリが大きくなるまで1年かかりましたが、家庭栽培のパセリは 味が濃いです。 徳さんも 健康維持して、エッセイを書いてください。
フリムン徳さんはこの話よりも、怖いほど、うれしい経験もあります。
その昔大阪で2号さん相手の商売をしていたときのことです。
絨毯家具、カーテン、夜逃げの引越しの運送屋もしていました。
あるとき、関西で大きなxx組の直系の組の切り込み隊の副隊長が、兄貴分の代わりに服役し、務所から出てきました。
組から女つきのマンションが用意されていました。
ところがそのマンションで問題が起きました。そのオナゴはんは私から、よく絨毯や、カーテンを買ってくれていました。「今夜、又引越ししたいのです」。「部屋が倉庫になって、住めなくなりました」。
そのオナゴはんは私が夕方に、そのマンションへ引越ししてあげたばかりです。「組員からの花束や贈り物で、部屋中いっぱいになり、とうとう、ベッドの上までも積み上げられたのです。
その切り込み副隊長は、夜中に不動産屋をたたき起こして、広いマンションを見つけました。その副切り込み隊長は夜中から明け方まで、それこそ、ふうふう言いながら、休憩ナシで、私の引越しを手伝ってくれました。私達は1日に、同じ人の引越しを2回もやったのです。私のズボンは裂けて、スカートみたいになっていました。今までに何回もヤクザやさんに日引越しの手伝いをしてもらったのですが、彼ほど、頑張って手伝ってくれたのはいませんでした。あまりの感激に、私は、「この引越しの代金は、要りませんよ、私はあなたの働きぶりにほれました」と言いました。
返ってきた言葉は、「徳さん、俺もあんたにほれた、徳さんの為なら、人、一人ぐらいは殺してもいいよ」。おお、怖っ!! フリムン徳さん
大阪弁ええなあ、ええなあ。鉄砲光三郎の河内音頭を聞いているみたいで、河内音頭のリズムが聞こえるようや。足が踊りだしよる。久しぶりに釜が崎のマルトミで叩き売り聞いているみたいヤ。久しぶりの大阪弁、おおきに、嬉しいわ。わしの大阪なまりのへたくそな英語が効きましたんや。
フりムン徳さん
人間を信用しないで、金を信用する世の中、どないにかなりまへんやろうか。
うちの庭に来る野うさぎは人参を信用していますけど。
フりムン徳さん
メキシカンと友達になる、一番早い方法を教えます。
ムーチョス グラシアス、ケ ボニート、これだけで、彼らはうれしがって、すぐに親しくなります。
私は26年間ロスアンジェルスで、英語のできないメキシカンばかり使っていましたから、今でも英語より先にスペイン語が口から出ます。彼らに教えられた、それはむちゃくちゃのスペイン語です。
フりムン徳さん
「人間って、もっとええもんやで」、味のある大阪弁やなあ。
こんな言葉、はやらしたいなあ。
フりムン徳さん
フりムン徳さんの土地は皮靴をはかないので、皮靴を磨く必要はおまへん。「人を見る目」、磨きたいですねえ。
フりムン徳さん
うちの母親の話なのですが、母はもちろんいい人ではないのですが、ご近所の(自分より)お年寄りのゴミを、ゴミの日に、ゴミ捨て場にもっていってあげたりしています。
こんな話を聞くと、私は「え〜、なんでそんなお人よし、加藤よし(古いダジャレですが)みたいなことすんのよぉ〜」と言います。
でも、言いながら、「たまにはいいことしてんじゃない」と思っています。「いいこと」って気持ちが明るくなりますね。
うわあ〜〜〜なんだか、浅田次郎の小説バリですね〜〜〜すごい世界です。映画になりそうな。
すごい世界がほんとにあるんですね。
徳さん、生き抜いた方ですね。すごい…