
今夜も姉が作ったニジマスの唐揚げにトマトやセロリを刻んだラビゴットソースをかけたもの

ニジマスの唐揚げは骨までカリカリしてとても美味しかったです

作り方は後ほど
てなさんは1888年生まれ
二十代半の頃 恋に落ち駆け落ちしました
恋愛はご法度だった時代 村に居られなくなった二人は
新しい人生を開拓すべきと韓国併合条約後 大日本帝国の統治下にあった朝鮮に渡りました
1915年の頃です
夫は市電の運転手として働き 男の子も生まれました
幸せな日々は長く続かず 病気で夫も乳飲み子も亡くして
一人で日本に帰国
故郷に近い熊本で旅館の住み込み仲居をして生計を立て始めました
その頃鹿児島に開業したばかりの若い夫婦がその宿に泊まりました
その女客は男の子を生んだばかりで産後の肥立ちが悪く
始めたばかりの商売も忙しく 乳母を探していたのです
乳飲み子を亡くしたばかりの仲居さんは これを運命の出会いと思ったのでしょう
鹿児島に移住して乳母となったてなさんは
その男の子を育てて その男の子が成人し結婚して子供ができると
今度はその子達の子守も勤めました
2代目の子供たちも大きくなって子守の役もなくなったてなさんは
私が高校生のとき隣の部屋で寝ていました
その時てなさんが毎日どのように日々を過ごしていたのか思い出せません
当時70歳は過ぎていましたから仕事はしていませんでした
たまに私の洗濯をしてくれましたが
いつも「しなくてもいいのよ」と言っていたのを思い出します
何もしない事は辛かったのでしょうと今になって思います
アメリカに1年行くと決まった時てなさんは寂しそうに「早く元気で帰ってきてね」と言いました
そのてなさんは私がアメリカから帰る一月前に亡くなってしまいました
今日姉と仏壇のお掃除をしている時にてなさんの写真が出てきました
私が
「てなさんて若い時はきっと美人だったでしょうね」
と言うと 姉が
「凄い美人だったのよ 」と言って駆け落ちの話を始めたのです
初めて聞いたてなさんの話でした
てなさんは分骨して今カリフォルニアのお墓に眠っています
お手数をおかけしますが
色々とクリックしてくださると嬉しいです
ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした

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いつも楽しく読まさせていただいています。ありがとうございます。





















コメント
コメント一覧 (7)
人生の悲哀 機微を感じます。
(春夏秋冬 此似人生)
カルフォルニアのばあさん
が
しました
小さな花束を送りたいです。エアーでも。
ふたりでいい時を過ごせて、良かったです。
全てのタイミングが、いい方に合ったのを感じます。
自分ではどうしようのない事や、自分で出来る事の組み合わせの人生かな。と今の年齢 環境になって実感です。
生き方には正解がないと、言われてるので、挑戦 チャレンジの連続でそれが楽しいです。
お姉さん 一年間仏壇の前で朝 晩ご飯を食べて。
今 Chiblitsさんと一緒にご飯を食べて。
元気でいるのかなぁ。とお姉さんの心がけに感心してます。
Chiblitsさんも、元気になりましたね。
この調子 この調子と応援してます。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
読んでる私も心がほっこりしてきます。今日登場の方の人生ドラマチックですね。分骨されて今はカルフォルニア最後まで波瀾万丈
そしてクリブィツさんの優しさに涙が出ました。お近くでしたらお友達になりたかったわ
カルフォルニアのばあさん
が
しました
駆け落ち 夫が亡くなって子供までと。が重なりました。
バターチャーラーの物語
Chiblitsさん家族は、お父さんを初め叔父さんふたり共、優しいです。
てなさん 最後まで見届けたのですね。それに分骨まで。
てなさん ずーーーとこれからも、見守ったり 見守られたり
寂しくないです。
優しいだけでなく、平等な考えだったんですね。
平等は、実際にするの難しいです。
自分の生まれ育った環境とか、色々考えが巡りました。
封建的だったから、実家ではあり得ない事だったでしょう。
何よりも、そのこと 差別しない が羨ましいです。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
鹿児島でお姉様と楽しく
お過ごしと、ブログ読みながら
こちらもうれしく思っておりました。
てなさん
チブリッツさんご家族と過ごされ
幸せな人生で良かったです。
朝鮮や満蒙開拓団のお話は
悲劇も、多いですよね。
いろいろな事を考えさせられる
お話をありがとうございました。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
カルフォルニアのばあさん
が
しました