アメリカのエネルギー源を2030年までに再生可能エネルギーに変える嘆願書を2013年に議会に提出する予定だそうです。 その署名はこちら
これからお墓参りに行ってきますね とじいさんに告げました
庭に出て少ないお花を切って 台所でバケツに水を入れていると
じいさんも行く支度をしています
じいさん 忙しかったら来なくてもいいですよ と言ったら
自分だって行きたいから と言います
私が黙っていると
来て欲しくないなら行かないよ と言ってくれました
今日はね 一人でお墓参りをしたいのです
そんな時もあるのです
久し振りに 両親と沢山お話をすることがあるのですから
じいさんが待っていると落ち着かないのです
そしてね 今日は一杯泣くと思うし…
お庭のお花が足りないので
お花屋さんに寄ってカラーの鉢と白い菊の鉢を買いました

両親がここに納骨されてから6年目です
6年の間に 2本の木が大きくなり
枝が気持ちの良い陰を作ってくれるようになりました

私はここで寝転がって
両親と声を出して話をするのです
実家に帰ったような気持ちになれるのです
ここで報告をしたり 愚痴ったり
相談したり 思い出したり 泣いたり
お父さん お母さん まだちょっと待ってくださいね
未だ見届けたいことがあるから
しなくちゃいけないことも
いつ終わるか分からないけど…
それまで私達を見守っていてくださいね
明後日はじいさんと一緒に見送りにきます
いつも沢山の応援を有難うございます。 暑さに気をつけてお過ごしください。





















コメント
コメント一覧 (39)
なんだか、私もオフィスで一人涙ぐんでしまいました。
自分の何年後かの姿がそうなるのかと思うと、切なくもあるし、同時に子供たちがその頃には成長しているのかという期待もあります。
じいさんの優しさが素敵です。
いつも楽しいブログをありがとうございます。旅行先でも読ませていただいています!健康に留意して、いろいろな知恵をみなさんにシェアしてくださいね。
両親は健在ながら色々あって連絡を絶っています。前回お墓参りをした時は、そうせざるを得ない状況が残念で悲しくて、お墓の前でしばらく声をあげて泣いてしまいました。もう日の沈んだあとで周りに誰もいませんでしたが、気持ち悪くて誰も近寄らなかっただけかもしれませんね。
次回のお墓参りがいつなのか見当がつきませんが、また大泣きしてしまうような気がします。
若いころ、お盆がとても面倒だなあと思ってました。でも、今、家族を持ち、子供もいて、両親が亡くなり、…どうやってたのかな、どういわれたのかなと思いだしたりして、そうやって両親の姿を思い浮かべることが多くなると お盆 がとても大事に思えてきました。
いのちの繋がり、心のつながり、懐かしい、いとおしいという気持ち、そういうところを思いっきり出したいなあと思う時もあります。
私も時々一人になりたいですが、今はまだですね。でも、そのうち。
今日はお見送りに行ってきます。
きっと喜ばれたでしょうね。
去年子供が産まれて母になりました。
Chiblitsさんのご両親のように、子供にとって何でも話せる親になれたら幸せだと思います。
今日もじいさんの優しさにほろっとしました。
お帰りなさい。私も読んでウルっときました。
チブリッツさんが寝転ぶ同じ場所で、亡き父を思った気分になりました。
子供の頃に「大きくなったら分かるよ」と言われ、何度も「そんな事あるのかな??」と不思議に思いました。結婚後9年目ではじめての出産・義父と父の葬儀・・等など。様々な経験を通じて、あの時の「大きくなったらわかる」の意味を痛感しています。
それでもきっと、まだまだ沢山の経験があるのでしょうね。
今日は終戦記念日。東京大空襲を逃げ延びた母。耳にタコが出来た戦争中の話も、最近は身を入れて聞ける余裕が出てきました。これも経験のお陰かな?
「玉音放送は、何て言っているか分からなかったわぁ。でも戦争が終わって嬉しくて、すぐモンペからスカートに履き替えたら、怒られちゃった」と話す母は、今月85歳になりました。いつまでも元気でいて欲しいです。
去年ソースのレシピを検索していたらチビリッツさんのブログに出会いました。拝見するたびに日々励まされたり笑ったり・・・。今日はホロリきました。
我が家は両親・姉弟家族と4世帯で暮らしているので、毎日賑やかすぎて繊細な感情を忘れがちです。チビリッツさんファミリーのいつもお互いを思いやる気持ちにハッとさせられます。
どうかお体ご自愛下さいませ。
長澤 鼎 を調べていたらここのブログに入りました。
今日はお盆の最後の日、ここで出会えたことなんだかとてもいい日になりました。
ありがとうございました。
日本のお墓参りは寝転がってというスペースはないですから、ちょっとうらやましい。
そういえば沖縄ではお墓参りに親族みんなで行って、歌って踊ってもって行ったお弁当を食べるそうです。
いつも楽しく、あるいはしんみりと読ませていただいてます。
両親は、心のよりどころですね。
自分が年齢を重ねるほどに、親のありがたさを感じることが多くなりました。
こどもにとっては、自分もそんな存在なんだと、重みを感じる日々でもあります。
精一杯毎日を過ごしているchiblitsさんのことを、お父さまもお母さまも笑ってごらんになっていると思います!
目頭が熱くなってきたので、今回は長々と書かないことにします。
笑顔で元気に過ごしてくださいね。
中学生の子供達は日本とアメリカの学校のシステムがあまりにも違うことに戸惑っていましたが、学校が始まり1週間経ち少しずつ慣れて来たようです。
この歳になっても会えば何かと反抗的になってしまう私も、今回日本を離れることになり、両親が生きている間にあと何回会うことができるだろうかと考えるのが辛かったです。日本に住んでいたときも関東地方と鹿児島では思うように頻繁に行き来も出来ませんでしたが、会うたびに年老いていた両親とますます会えなくなるので。
うちは子供が多いし下の子は障害もあるので長時間のフライトは厳しいです。先月の引っ越しの時に、もうこりごりだと思いました。毎年夏に帰れるようなら良いのですが、無理です。。。
うちのダンナは『墓参りして涙されるのはイヤだから死んだら墓は要らない。 灰にしてメキシコ湾に蒔いてくれ』といつも言ってます。 ということは『私一人がお墓に入るわけにはいかないから 同じようにして』と子供たちに言ってます。心の中で思い出すだけでも良いかなと思ってます。でも日本へ行くと必ず両親のお墓参りはしてます。 やっぱりそこに居るという気持が落ち着くのでしょうか?
後仏壇かきて初めてのお盆は忙しかったです 仏様にお供えするごちそう作りで(^。^)。
13日は提灯の灯りに誘われて、知ってるご先祖、知らないご先祖様たちが家にきてくれたようで、なんだかざわざわ、したような気がしました。そして16日の朝、今朝ですが 鹿児島の実家の母がしていたように そうめんをお供えして見送りました。 そうめん、不思議ですね。母もなぜ、そうめんなのかな?って 言ってます。
遠く日本から離れて暮らすchiblitsさんにとってお墓は 故郷や、ご両親へ「すぐ」繋がることができる場所なのですね。 たっぷりお話もできてよかったですね。
灰にでも入れるところを買わないといったら海にまけばいいというので私もそれでいいわとなりました。
なんとあっさりとした感じでこれでいいのという感じでした。
ちゃんと決めておかないと残させたほうが困るしまた私たちの世話をしてもらう人のためにもちゃんと書類を作っておくのも必要だなと思いました。
日本式にいうと終戦(一日遅れの)
に何でこんな話になったのかなとおもうですけど主人はアメリカ人だから日本の終戦には関係ないですね。
今日のtvジャパンの特集で日本がもっと戦争をおわっていたら310万人の人が助かったのにという特集を聞いていてなんていっていいのかわかりませんでした。
いつも犠牲になるのは小さいもの弱いものだからです。
当時の人々の早く戦争を終わらせたほうがいいという人の言葉も肉声で聞くことができました。
戦争が終わって67年たってそのことがほうそうさせたわけですけど。。。
昨日原発関係の本を読んでいてその中で原発を作動しているだけでもやはり放射能は少しだけど漏れているとかいてありました。
311前はまったく原発について私は知識はありませんでした。
でもいろいろな方法で少しずつですけれどわかり始めて日本全国に原発がありアメリカにも原発があるけど作動しているとき少しなりとも放射能が漏れているのではないかということを思っていました。
そしてそのことを昨日読んだ記事をみてやはり私が思ったとおりだったんだと。。
そこには再処理工場にいたっては最悪ということでした。
つまり煙突から高度の放射能が空にそして工場から海に流されるということでした。
国民が声を出して自分の思いを言うときにきているのかなと思いました。
chiblitsさんはお墓参りに行けるのですね! 羨ましい。。。
日本にいた頃、お盆の入りに墓石を洗い、綺麗にしてから花を添えるのは私が一番先でした。全てを兄夫婦に任せてきたのですけど、今はどうなっているのかも分からないのです。
私も父母に聞いて欲しいことが沢山あります。まだまだ恋しく感じます。
遺影だけで我慢です。
↑チビちゃんのお薬に細かい細工をなさる旦那様、ほんとうにすてきな方ですね。 チビちゃんとの写真にとっても癒されました。
チブリッツさん、良いお盆をできましたか。
少しは お体休まれたでしょうか。
私は 日本の両親の墓が 姉の家のそばに移されて以来、孫たちも家族で墓参りするようなので 父さん母さん、良かったねと思いほっとしています。 苦労した父母も孫たちの声に 微笑んでいることでしょう。(子どもたちが 土地を離れてから、墓だけが残され、不憫だったのです。)
私たちも アメリカに係累がいませんが、生きている間に 義父母や義祖父母の墓参をし 花を添えてあげようと思います。 たった一人の夫を そばでみていると、自然とそうなりました。 ちょっと遠いのですが、小旅行で、ご先祖さまたちに会いに行くのは、魂の時間といいましょうか。
私も40代の頃は両親は永遠に生きてくれるものと思っていましたよ。いなくなるなんて思いもしなかったしどんな老後になるのかも予想もできませんでした。
今旅行中ですか!!
家族バケーションですね!!いいですね〜。 みきさん、今が一番いいですよ!家族が未だ全員揃っている時が楽しいですよ。
「そうせざるを得ない状況」は悲しいですね。理由がなんであれ、離れていて言葉が交わせないというのは悲しいことです。 お墓に特に慕っていた人が入っているとお墓に対する気持ちが違うんですね。年齢もあるかもしれませんが そして私ももうじきここに入るのだと思う気持ちと複雑です。矢張りお墓は故人を思い出してしまいますから泣いてしまいます。
私は本当のところよくわからないのですよ。 じいさんは私がお墓に行く時はいつもついてきますけど、入っているのは私の両親でしょう。 義務かんなのかな〜とかどうしてついてくるのかなぁ〜って不思議なのです。 敢えて聞いた事がないのは義務感といわれるよりも両親は良い人たちだったからとか言ってほしい気持ちがあるので。 聞いてそうじゃなかったらがっかりじゃないですか。
私はお盆の間だけじゃなくても両親はいつもあそこにいるような気持ちでいますけどちゃんと送り火ってあるんですよね。なんだか送るっていうのもさびしい気持ちになりますよね。 じいさんは特に私の母には色々と感謝しているようです。 ここによく夏休み子供シッターに来てくれましたから。 食事係りと。
そうですね、まだまだくたばれません。
今朝は又お墓に言ってお花に水をやってきました。 そしたら又開花したお花が一杯になっていました。
お母さんになられたのですか! お幸せですね!
そうですね。子供が何でも話せる家庭環境を作ってあげたいですね。 大変でしょうけど楽しみや喜びも又大きいですからがんばってくださいね!
「死は人生の通過点で、生きている人に思い出されたり、心の中で話しかけられたりすることで、亡くなった人の人生は続いている」 本当ですね〜。 私も両親をなくして初めてそんな気持ちになりました。 そして同時に私は両親のように家族から思い出してもらえるのかなとか思ったりしています。 そうならなくちゃと思っています。 父は孫達と親密でしたから楽しい思い出が沢山あります。 日本とアメリカをこんなに離れていながら。私は孫と2時間しか離れていないのにもっとしてあげなくちゃと反省しています。
自分も段々年をとってくると両親はどんな気持ちだったのだろうって思う時が多くなりました。
お母様は85歳ですか!
段々戦争の体験者が少なくなる中、こうしてお話を聞くのは大切ですよね。 お孫さん達にも沢山聞かせてあげたいですよね。 私は父を看病している間に色々昔話を聞く機会がありました。これを全部子供たちに聞かせてあげたいと思うけどなかなかできませんね〜。
初めまして!
ソースでしたか!!何のソースだったのでしょうね。
いつもご訪問ありがとうございます。
うわ〜〜4世帯、毎日にぎやかでしょうね! うらやましいですね〜。ご両親はきっと長生きなさいますよ! 若い家族と3世代で住んでいらっしゃる方は長生きをされる方が多いですよ。矢張り気持ちがハッピーだからでしょうね。
初めまして!
長澤さん!!共通点は鹿児島ですね!
お盆は終わりましたね。 私は最後の日にカメラをお墓に置き忘れるドジをしてしまいました!
本当のところじいさんがお墓についてくるのは義務感なのかなんなのか私はよくわからないのですよ。多分生前二人にはとても世話になったので感謝の気持ちかなあとか思ったり。
そうですよね。鹿児島の実家のお墓も下はコンクリートに最近変えてしまって石のベンチがあるだけ。 お墓掃除に行っても寝転がって休むところはないですね。でもベンチに座ってお弁当は楽しみですよ!
初めまして!
そうですね。私も親のありがたさを強く感じるようになったのは25過ぎてくらいでしょうか。 当時は両親も40代で若かったし。
そうですね。 私も両親が直ぐそばで見守っていると思っています。
ありがとうございます。
元気ですよ! 昨日は又娘の病院のアポについて行って良い結果が聞けたので又お祝いでしたよ。
日本から大変な引越しでしたね。落ち着くまで未だしばらくかかるでしょうね。 のんびりして急がないでなさるといいですよ。 時差だけでも私は1月かかりますから。
私も両親が生きているときあと何回会えるんだろうっていつも思っていました。ご両親が遊びにこられるようでしたらいいですね。私はず〜っと仕事をしていたので夏母が着てくれると助かりました。近くに住んでいたらどんなに良かっただろうって思いました。でも今はSkypeで簡単に電話ができるので便利になりましたね! 私ももう鹿児島には4年帰っていません。
いつもご訪問ありがとうございます。
アメリカ人は灰にしてほしい人は多いですよね。 宗教の違いかもしれませんね。両親がなくなって思うのですがお墓は遺族の為ですよね。私の場合は実はあってもなくてもよかったのです。 遺骨は2年間家にありましたから毎日両親と住んでいる気持ちで納骨された時はすごくさびしかったです。 姉とどうして納骨しないといけないのかなって話したものです。お坊さんが納骨はしなくちゃいけないと言って理由を言いましたけど忘れました。宗教的な理由です。勿論。私は遺骨は家に置いてもいいと思ったんですけど。 そしてその後、他のに受け継いでくれる人がなければまいてもいいし。
そうですか! 今度はみいぼさんご家族が守ることになったのですか。 実家では兄弟3人(父方の)それぞれに仏壇を買ったのでこれも又困ったものです。 父は長男ではないので今実家にある仏壇を家を将来処分する時にどうしたものかと姉と話しています。ここに持ってくるわけにも行かず、もっと小さな仏壇なら良かったのですが。
え〜そうめんの事知りませんでした。何しろ我が実家の親戚は仏教に疎い人ばかりで
私もそれはそろそろしなくちゃいけないと思っていました。 65歳になったらしようと思っているのですが。
310万人もですか。今私の家族にも周囲にも戦争に行っている人はいませんがイラク戦争もあれだけ必要なかったと言われてあそこに一人息子や娘を戦死させた家族はどんな気持ちでしょうね。なんか政府って国民の命をまるでおもちゃの兵隊みたいに思っているんじゃないかって言いたくなります。本当にいつも犠牲になるのは普通の市民。
20年前カリフォルニアの原発(サンルイポオビスポの)はカリフォルニア人の大反対があって稼動停止になったそうですよ。どうして最近はもっと大きな運動にならないのかな。
こんにちは
遺影で十分と思います。私は父の希望でお墓を作りましたが自分としては家にある自分で作った仏壇、そこに両親の眼鏡、写真、手紙などをおいていて二人を思い出すには十分です。 子供たちが帰るとここにまずお線香をあげさせます。本当はお線香もなくてはいけないものでもないと思うのですが。 実家に沢山お線香があったので以って来たのですよ。
今日は又お墓参りをしてきたのですが、カメラを忘れてきちゃったのですよ! カラーの花が増えていました。 カラーの写真をとって芝においたまま。 家について直ぐに思い出し直行。 遠くから芝にカメラが見えた時は嬉しかったです〜〜。
忙しいお盆でした〜〜間に娘の病院のアポもあり、又一緒に行って話しを聞いてきたり。
お墓が家の近くにあるのは便利ですよね。父は東京ではなくてCAを選んだのはそれがあったようです。 東京のお墓はかなり遠くになって一日かかりの仕事になりますからどうしても足が遠のきますよね。 じいさんの兄弟全員を見ているとあまりお墓にはこだわらないですね。宗教の関係でしょうね。