18歳の時、私はモンタナ州の田舎町にある高校の校長先生のお宅にホームステイーをしておりました。奥様は小学校の先生。お二人揃って教育に携わる、アメリカの典型的な中流家庭でした。
でもそこには、大きな電気掃除機, 皿洗い機、巨大な洗濯機にドライヤー等があり、1960年代に鹿児島から急にアメリカに行った「ぽっと出」の私には目を見張るものばかりでした。
丁度テレビで見ていた「I love Lucy」とか「ルート66」の世界、そのままでした。
数ヶ月もすると友達も数人できて、その中の一人、エディナの家で私の18才の誕生日パーティーをしてくれる事になりました。
エディナの実家は農業。連れて行かれたところは見渡す限り地平線に続く草原でした。
エディナは自分の馬に私達一人ずつ乗せてくれました。彼女以外の友達は馬なんて初めての経験です。ひょうきんなサンディーが乗った時は馬は一歩も動かず。エディナが人参を棒の先にぶら下げて馬を動かしたのには私達全員お腹がよじれるほど大笑いでした。エディナがサドルも付けずに草原を馬で走る様はまるで西部劇の一こまのようでした。
夕日が沈む頃、馬に乗ったエディナが引くワゴンに這い上がり、上向けに寝転がり、夕日で赤くなった空を見ながら、何が可笑しかったのか、皆笑いが止まらなかった事を思い出します。
その日夕食はどうしたのか全く記憶が無いのですが、バースデーケーキを焼こうという事になり、暗くなってからエディナの家に入ってびっくり!そこはまるで「大草原の小さな家」そのままだったのです。
丸太小屋で、台所には大きな鉄のかまど。薪を炊くかまどの横はその火力を同時に利用できる鉄のオブン。エディナは慣れた手つきで、火を起こし、インスタントのケーキミックスに卵を入れて、ケーキ型に流し込み、あっという間に、サーモスタットもついていない薪のオブンで苺ケーキを焼いてしまいました。
今でこそ、薪の窯がパンフェチ(ふろっしゅさん、使った!)に持てはやされていますが、当時は日本でさえも「かまど」は幼稚園の時に祖母の家で見たきりでしたから、進んでいるアメリカと対照的でびっくりしました。
そしてトイレはというと、家の外に小さく立った小屋。私達は懐中電灯を交代で持ちながら暗くなった汲み取り式のトイレを使ったのです。
10ヶ月の滞在で「大草原の小さな家」を体験したのはその後もエディナの家だけ。
私のアメリカの印象は、最初見た大きな冷蔵庫やドライヤーではなく、エディナの家で西部開拓時代の名残を見た事です。もうそんな家はモンタナの田舎にもないでしょうね。20年後の同窓会に行った時、エディナは新築のモダンな家に住んでいました。
今日18歳の誕生日を思い出したのは、週末押入れの整理をしていたら、当時私が撮った8ミリフィルムの一杯詰まった箱が出てきたからです。もうそろそろと思った父が10年前鹿児島から送ってくれた箱でした。
8ミリにはエディナが人参を棒にぶら下げて馬の前を歩き回る姿が出てくるのですが、何故かケーキを焼いているエディナを撮らなかったようです。余りにも時代遅れのアメリカを見てびっくりして、8ミリに収めるのを忘れてしまったのか、残念な事をしました。
何十年前の自分が居た瞬間がこうして壁に映し出され、再現できるのは言葉ではいえない様な感動を覚えます。
これ、デジタル化できたらなあ〜。
でもそこには、大きな電気掃除機, 皿洗い機、巨大な洗濯機にドライヤー等があり、1960年代に鹿児島から急にアメリカに行った「ぽっと出」の私には目を見張るものばかりでした。
丁度テレビで見ていた「I love Lucy」とか「ルート66」の世界、そのままでした。
数ヶ月もすると友達も数人できて、その中の一人、エディナの家で私の18才の誕生日パーティーをしてくれる事になりました。
エディナの実家は農業。連れて行かれたところは見渡す限り地平線に続く草原でした。
エディナは自分の馬に私達一人ずつ乗せてくれました。彼女以外の友達は馬なんて初めての経験です。ひょうきんなサンディーが乗った時は馬は一歩も動かず。エディナが人参を棒の先にぶら下げて馬を動かしたのには私達全員お腹がよじれるほど大笑いでした。エディナがサドルも付けずに草原を馬で走る様はまるで西部劇の一こまのようでした。
夕日が沈む頃、馬に乗ったエディナが引くワゴンに這い上がり、上向けに寝転がり、夕日で赤くなった空を見ながら、何が可笑しかったのか、皆笑いが止まらなかった事を思い出します。
その日夕食はどうしたのか全く記憶が無いのですが、バースデーケーキを焼こうという事になり、暗くなってからエディナの家に入ってびっくり!そこはまるで「大草原の小さな家」そのままだったのです。
丸太小屋で、台所には大きな鉄のかまど。薪を炊くかまどの横はその火力を同時に利用できる鉄のオブン。エディナは慣れた手つきで、火を起こし、インスタントのケーキミックスに卵を入れて、ケーキ型に流し込み、あっという間に、サーモスタットもついていない薪のオブンで苺ケーキを焼いてしまいました。
今でこそ、薪の窯がパンフェチ(ふろっしゅさん、使った!)に持てはやされていますが、当時は日本でさえも「かまど」は幼稚園の時に祖母の家で見たきりでしたから、進んでいるアメリカと対照的でびっくりしました。
そしてトイレはというと、家の外に小さく立った小屋。私達は懐中電灯を交代で持ちながら暗くなった汲み取り式のトイレを使ったのです。
10ヶ月の滞在で「大草原の小さな家」を体験したのはその後もエディナの家だけ。
私のアメリカの印象は、最初見た大きな冷蔵庫やドライヤーではなく、エディナの家で西部開拓時代の名残を見た事です。もうそんな家はモンタナの田舎にもないでしょうね。20年後の同窓会に行った時、エディナは新築のモダンな家に住んでいました。
今日18歳の誕生日を思い出したのは、週末押入れの整理をしていたら、当時私が撮った8ミリフィルムの一杯詰まった箱が出てきたからです。もうそろそろと思った父が10年前鹿児島から送ってくれた箱でした。
8ミリにはエディナが人参を棒にぶら下げて馬の前を歩き回る姿が出てくるのですが、何故かケーキを焼いているエディナを撮らなかったようです。余りにも時代遅れのアメリカを見てびっくりして、8ミリに収めるのを忘れてしまったのか、残念な事をしました。
何十年前の自分が居た瞬間がこうして壁に映し出され、再現できるのは言葉ではいえない様な感動を覚えます。
これ、デジタル化できたらなあ〜。





















コメント
コメント一覧 (68)
8mmフィルム本職に頼んだら、デジタル化できると思いますよ。でもいくらかかるかは分かりませんけど。
大草原の小さな家は私もファンでした。多分このあたりのHomestead運動が、舞台になっているんだと思うんですが。
鮮明に残る記憶は写真や映像を凌ぐものがあると思います。
テレビで見ていたアメリカの番組を思い出しました♪
素敵な風景の中にいらしたのですね。
馬とchiblitsさんそしてお友達そして夕陽
とっても素敵な風景ですね。
それにしても当時の最新のアメリカと開拓時代の古き良きアメリカの両方を、始めての渡米で体験できたのはとてもラッキーなことですね。
何だかお話を聞いていると、chiblitsさん達のことが映画の映像のように私の頭の中にも浮かび上がってきました♪
今まで畑仕事をしていました。少しずつ日が短くなりましたね。と言っても、、未だ太陽は出ていますが。
そうです。その時夫に出会いました。でもその頃はクラブの仲間でお付き合いはだいぶ後なのですが。
8ミリ、頼めば出来ますか!この辺りでもあるでしょうね。ネットで探してみます。子供達が小さい時も8ミリなので、殆ど見ることないんですよ。映写機を出してって結構面倒なので見ないんですよね。子供達も自分達が赤ちゃんの頃をみるとびっくりでしょう。
洋子さんがいらっしゃるところは大草原の生まれ故郷ですか!あの番組は私もアメリカで見ていました。随分長く続きましたよね。
日本でも放送されていましたよね。
あの時の俳優さん達どうしているんでしょう。
こちらでは再放送されていませんね。
ぐっと近づいて共感できるのは流れるようなchiblitsさんの文才もモチロンの事、私にも笑い転げた頃があったからでしょうね〜。
今でも笑い転げるのは特技の一つだけど、若かりし日々のとは種が違うかも。
エディナさんのお家のフィルム、お料理編が無いのは本当に残念だけど、馬の人参分がまさかあるなんて@@スバラシ〜イ☆
無い分は是非語り継いでいただきたいですよ〜。
私の誕生日は11月なんです。
モンタナで11月ってかなり寒いんですよ!なのに外で日が沈むまで荷馬車に乗って、干草の中に埋もれていました。当時は若者がそうやって遊ぶのが流行っていたようです。でもあの年は12月クリスマスイブまで雪が降らなかったんですよ。こうして思い出すと自分が別世界に居たような気がします。2度と戻らないんですね。
本当にあの頃はアメリカの平和な良き時代だったのかも。
そうそうモンタナに着く前1週間ロスアンジェルスのPacific Palisadesっていう知人の家に居たのですが、又そこは、モンタナとは全く違う別世界でした。本当にあの時は3つのアメリカを見たような感じでした。ロスの高校生達は週末に大きなヨットでクルーズのパーティー。これは本当にアメリカに到着して直ぐでしたから、たまげました!
この人参の一こま、動画として載せられたらなあと思ったのですが、壁に映したのをデジタルカメラで撮りなおすのが一番はやいかもですね。
中学生とか高校生の頃って本当に何でも可笑しいんですよね。このときの友達ナンシーって子はその後日本で再会しました。本当に楽しい思い出です。
私なんて、現代のアメリカしか知らないので、大草原の小さな家はTVの中の世界ですよ〜。
ちょっぴり羨ましかったりして。
確か、うちの義母はフィルムを壁に映写してそれをビデオカメラに収めてました。そしてそのビデオをうちの主人がDVDにしたというわけです。
日本の米軍キャンプ小学の時(神奈川)連れて行ってもらいました、今でも鮮明に覚えています。
キャンプ内のスーパーでアイスクリーム&パン
それまでかき氷の様なアイス パンはコッペパン位
そこのパンはクリームたっぷり!!美味しかったな
日本にはどうして無いのかと子供心に^^
驚いたのは、ぞうりすごく大きいかった。おばけぞうりが売ってるとフフフフ^^
ちょっぴりうらやましい〜〜♪
記憶に残る誕生日があるって、ステキだねぇ^^
お友達とは今でも連絡を取り合っているのですか!?
ところで、その当時ってまだ日本人に対してアメリカ人は戦争のことで文句を言ってきませんでしたか!?
親御さんは、随分と教育熱心であって、先も見ていてらしたんでしょうね。その当時のホームステイというのはとても珍しかったのではないですか??
その経験の後、chiblitsさんはどう変化したんですか?
私は、初めて海外に出たのが遅かったので(25歳を過ぎてました。)、なんだかもぉ大人だったんですよね。まさか、この私が日本から(っていうか名古屋から)出て生活することになるなどとは、想像していませんでしたよ。不思議です。
ビデオ、大切な思いでですね〜〜。エディナさんとは、今もお付き合いがあるんですか?
18歳のころから海外でホームステイできるなんてとてもいい環境だったんですね。きっとその頃の経験がchiblitsさんのその後の人生に大きな影響があったんでしょうね。
よくアメリカの映画で、古いフィルムを壁に映して見る様子が流れますが、あんな感じなんでしょうね。素敵だな〜。
私も高校生の時、留学したくってAFSの試験を受けました。見事不合格。鹿児島から1人とか、多い時で2人いけるかどうかの難関だったのです。英語が得意なわけでもないのだけど、小学校6年の時社会の地理の自由研究で北米担当だったんでそれ以来アメリカは興味ある国だったのです。 ステートも覚えましたが、今はもう忘れたかな?、、18歳の時に留学されたって 良かったですね。そして当時の事情を考えると珍しいことだったと思います。今ほど 簡単に外国にいける時代ではなかったですものね。この頃のお話たくさん聞きたいです。ユメを果せなかった私にとって魅力的なお話です。是非。
chibilitsさんが18歳の時の映像をぜひ見てみたいです! アメリカって不思議な国ですね。ものすごく近代的かと思うと、アーミッシュのように非近代的な生活をする人々がいたり。トレーラーに住んでいる人もボートに住んでいる人もいますね。生活に対する価値観が日本よりも多様なのかしら。
私のはじめてのアメリカは16歳の時でした。丁度アメリカ生誕200年祭の年でしたよ。シカゴの郊外にホームステイしましたが、ホストマザーのおばあさんがわたしたちのことをアイスクリームもエスカレーターも知らないだろうと思っていたことが印象的でした。当時からすると、アメリカと日本って、ぐっと近づきましたね♪
ホント楽しそうな様子が8ミリを見ているようでした。何もかもが新鮮で刺激のある日々だったんですね(^^)18歳でホームステイ羨ましいです。
私が初めて海外を見たのは働き始めてからでした。
ハワイでしたが、こんなに素敵な知らない世界があったなんて…と今頃知ったことにかなりショックでした。
もうすでに現実の世界に精一杯で忙しい毎日を送っていたので。。。
もし、若い頃に海外を見ていたら人生変わっていたかもしれません(^Д^)ァハハッ
「サンセット77」や「コンバット」もよく見ました。
8ミリ映像はたしか直接デジタル化できますよ。調べてみます。貴重な映像は姐さんだけの資料じゃありません。薩摩おごじょが60年代のアメリカでどんな経験をしたのかとっても興味深く貴重です。
でも昔の自分が壁に映し出され、動くことが考えると不思議でしょうね。音声はどうなってますか?まったく無しかな?
外国に興味を持つようになったり手作りが好きになったきっかけだと思う。
モンタナと言えば、LONESOME DOVEというVHS持っています。ロバートデュバル、トミーリージョーンズ、アンジェリカヒューストン、ダイアンレインが出ていてテキサスから牛を連れていってモンタナで牧場を拓く話。ふと思い出して引っぱりだしました。よかった、まだ見られる。テープ劣化する前にHDに録画しなくちゃ。
モンタナといえば「モンタナの風に吹かれて(The Horse Whisperer)」という映画があります。馬も出てきます。ロバート・レッドフォードが監督、出演しています。今をときめく、セクシー女優、スカーレット・ヨハンソンが子役で出ていますよ。それから、馬は出てきませんがやはりロバート・レッドフォード監督の「A River Runs Through It」はすばらしい映画です。フライ・フィッシングの話。ご存知だったらごめんなさい。映画から推測するにモンタナ州ってすばらしい自然に囲まれたところなのですね。
昔、イーデス・ハンソンが「ワタシニモウツセマス」って関西弁で宣伝してましたよね。たしか「フジカシングルエイト」だったと思いますが。
一世を風靡した8ミリも今では、レコードと一緒でマニアにとっては貴重品になってしまいましたね。
今、ビデオではなく8ミリで撮ってたら、めずらしくて人だかりになるんじゃないですか?8ミリのフイルムってまだ売ってるんですかね。
それにしてもその時代にもう皿洗い機や洗濯ドライヤー、さらにはケーキミックスまであったんですか?!
機能やデザインが進化したぐらいで生活自体は今と大して変わらなさそうですね。
それに比べて大草原の小さな家!同じ時期の同じ国とは思えない違いにびっくりですね!
大草原の小さな家は大好きでよく父親と一緒に観ていました。懐かしいなぁ〜
私も「モンタナの風に吹かれて」の景色には感動しました。まさにあの映画の中の景色が、そこにあったのですね。是非デジタル化して、見せていただきたいな。
生桃のパイを作ったので、リンクさせていただきました。すっごくおいしかったです。ありがとうございました。
今日のchiblitsさんの記事を読んで、私の実家にも
私達3姉妹が子供の頃に、父が撮影してくれた8�丱侫�ルムが
あるのを思い出しました。
一時期、家族全員で何日かに分けて、大笑いしながら
見ましたよ。両親の若かった事といったら(笑)
デジタル化でなくても、せめてVHSくらいにはしたいですよね。
それにしても 大草原の小さな家そのまんまの生活ってアメリカ開拓時代くらいかと思っていました。
今でもアーミッシュの方達は似たような生活をしているんでしょうか。
私は始めてアメリカに行った時、その家の人が ハンバーガーヘルパーやケーキミックスを使ってささっと食事を作るのを見て感動したのを覚えています。今となると、結構インスタントだったんだな〜なんて。。。それもまた楽しい思い出です。
とてつもない格差でしたね。
象にありんこが立ち向かうような
戦争で勝てるわけがありませんでしたよね。
当時の為政者は理解力に欠けていたのか
いつの世も権力者の犠牲になるのは
名もない市民達〜。
今の日本も暗雲が垂れ込めています。
やっと授かった可愛い可愛い
孫ちゃんを戦場に送る世だけは来て欲しくない!
それにしても私と同い年で18歳にして
アメリカ留学とは
国内も大層の格差」でしたね。
超お嬢様でらしたんですね〜。
何はともあれよい思い出ですね。
そして今はアメリカ市民〜人生の不思議」!
アメリカ市民?
アメリカの市民権を得たと訂正ですよね。
素敵な思い出ですね。
本当に仰るようにデジタル化したいですね。
一番何でも吸収できる時だったでしょうか?失礼今もですよね。chiblitsさんは
私高校生の時カリフォルニアへ行きましたがその時ホストファミリーのママが作ってくれたツナサンドが本当にカルチャーショックを受けました。美味しかったな〜
何て私まであの頃に戻りました。ありがとうございました。素敵なお話。
やれそうじゃないですか???
MIXIで呼びかけてみてはいかがですか??
私の妹の旦那は、10代の頃タレントをしていて、
カップ麺のCMに出ていたのですが、
私も妹も記憶があるんですよ!!!
顔は思い出せないけど、やり取りする声だけは
(ハワイロケで、アメリカの女の子と競演していた)
覚えているんです。
その時の撮影風景や、共演者とのスナップを
見ていると、なんとなく映像が蘇るのですが。。
そして今、リメイク版を流していて、メーカーの
サイトに行って見たけど
過去のCMは見れるようにはなっていませんでした。
残念
なんて。。。ドラマですわぁ
旦那は18歳、妹は6歳ですよ。。。。当時
Chicoさんも40年後に2007年はこうだったって思う時がきますよ。その頃はも〜ブログなんて存在しなかったりして。そしたら、私はブログの時代を生きたのよなんて。そしてばあさんはその頃はお墓の中。そう考えると寂しいですね。(笑)
最近のデジタル動画は高質になってきているので、本当にそれもいいかもですね。一番安上がりじゃないですか!考えて見ます!考えるよりもやってみないとですね!
アイスクリームには皆驚きますよね!いまでもこそもう慣れましたが本当にバケツのような大きさの容器にアイスクリームが売られています。これだからアメリカ人肥満が多いんですよね〜。アイスクリームが安過ぎる!
私が小学校の時はアイスクリームは夏だけ。しかもひと夏で2、3回だけでしたよ。何しろ冷蔵庫が無いんですもんね。アイスボックスっていうものでした。毎日氷を買ってきて、そこに入れておくんですよね。(笑)
クリームパンですか。う〜ん、ドーナツではクリームが入ったのを食べた事があります。でも今はパンでも何でも日本の方がず〜っと美味しい〜!
運命って不思議ですね。でも英語を中1で習い始めてから、フルブライト留学から帰ってきた英語の先生から凄い影響を受けました。その頃から英語を使う仕事をしたいと思っていました。結果全く関係ない仕事でした。(笑)
私の誕生日って、そのくらいしか記憶がないです。私の両親が誕生日ってしてくれた記憶がないんです。(笑)小学校の時に多分、3、4年生で一度あったかも。商売をしていたので忙しくて。
お友達とは15年ほどまえから途絶えています。でも今年は同窓会がある予定で(行けませんが)その時新しい住所録が手に入る予定なので、分かるかもしれません。ホストファミリーは偶然に退職後シリコンバレーに引っ越していらしたので、お亡くなりになるまで会っていました。モンタナとカルフォルニアを半々ですごしていらしたので。
私の頃がホームステイのはしりですね。それから地域の交流もあったりで、体験談のグループが鹿児島にも大勢交行ったり来たりしていました。多分今でも続いていると思います。
今なんか日本の生活の方が進んでいるくらいですから、アメリカ人の方がカルチャーショックが大きいかも。だって日本のお手洗いだってハイテックだし、テレビは写真みたいに綺麗に映るし、交通機関は素晴らしいし。
その後はこちらの高校に戻って3年をやり直しました。つまり落第です。(笑)それでクラスメートより一年遅れで卒業でした。でも落第と腹をくくったら、かえって焦らないで勉強できたような。
エディナさんとは途切れてしまいました。でも今年は同窓会があるので新しい住所と皆さんの健在が確認できるはずなんです。8月の中旬同窓会です。
私もエディナさんの家に行ってよかったと思っています。じゃないとアメリカの一面しかみていなかったでしょうね。
あの時の経験は人生を変えたのは確かです。
行かなかったらどう変わっていたのか、って考える事があります。親のそばで色々苦労しないで親孝行をしながらおくれる人生もあっただろうなあとか。
ホームステイーの思い出はbitter sweetというか、決して全てが良い思い出ではありませんでしたけど、良い経験になったと思います。
自分が色々未熟だったことがあると思うのですが、ホストファミリーはそういう私をちゃんと受け入れてくださって、再会した後もず〜っとお付き合いできたことはラッキーでした。
宗教の違い、生活習慣の違い、色々感じましたよ。
AFSは私も落ちました!
確か県から一人でしたよね。みいぼさんも行きたいと思っていらしたのですね。(笑)私達似ていますね!
私はそれでも諦めず、無料でいける方法を探しました。(笑)当時は1ドル360円でしたし、私費留学できるような経済ではありませんでしたから。つてからつてで、(笑)今考えると、10ヶ月もただで下宿させて下さって、食費も無料で、校長先生だったので給食も無料にして下さって信じられないご好意でした。ホームステイのはしりだった頃ですね。当時の思い出は良いことも悪いことも両方あります。悪い方は余り思い出したく無い事もあります。何しろ小さな町でしたから、宗教の違いで誤解を受けたり、そして私も未熟だったこともあり、どう対処してよいか分からなかった事もあります。
デジタル化した時にはどうにかしてアップしますね。でもいつの話になるのやら。多分全部でたっぷり2時間はあるような量です。
確かにアメリカって本当に色々ありますよね。多分多国籍の集まった国なので、宗教も習慣も色々なので、同じじゃなくてもいいという感覚が浸透しているのでしょう。だから皆さん、人の目を気にしないで、自分の好きなように生きているのでしょう。これも良い面悪い面あるのでしょうけど。
2000年って言ったら、日本の方が進んでいるんじゃないですか!(笑)そのおばあちゃん、きっと50年前と同じ日本をおもっているんでしょうね。まだそういう日本のイメージしかもっていない人達が結構いるのかもですね。
私の青春、素敵と一言ではいえないところがあるかもです。(笑)その前の日本の高校生時代は暗黒でしたし。(笑)ホームステイ中も宗教の事でホストファミリーや教会と気まずい事になったりした時もありましたし。全てが良い思い出というわけでもありませんでした。でもそういう誤解や嫌な事も全部流してくれて、その後再会してから良い関係でいられたのはやはり心の大きな人達だったのだなあと今更思います。私も18歳ですし、コミュニケーションが悪かったりで、今更、反省する事が沢山あります。
その中で「コンバット」って記憶にないのですが、多分鹿児島では放映されなかったのかも。
I love Lucyは確か小学校の頃でしたよね。我が家に初めてテレビが来た時には放映されていました。テレビが来る前は毎日、ラジオ!「赤胴鈴之助」はご存知ですか。何故かあれを聞きながら夕食を食べた記憶があります。吉永小百合だったんですよね〜。
ご帰国早々、有難うございます。
デジタル化できるはずですよね。これね、2時間分ぐらいはあると思うんですけど。数年前、一本(5分間分)が一万円くらいと聞いた事はあります。2時間で24万円!でも私が生きている間にどうにかするつもりです。だって子供達や孫にも見せたいし。それと、父が私達が小学校から撮っていた8ミリもあるんですよ。小学校、中学〜。これも入れるともっとかかる!こんなに沢山あるので、いっその事機械を買ってしまいたいと思ってもいます。
私も探してみなくちゃ。機械を。
あの番組は本当に幼女の心をつかみますよね。私はアメリカで娘と一緒に見ました。私よりも娘の方が熱心に見ていたかも。
そういえば、手作りのクッキーとかケーキとか焼いていましたね。
LONESOME DOVEって初めて聞きました。今夫に聞いたら知っていました。どんな映画かは記憶に無いらしいです。
テープからHDに移せるんですか?
実はもう少し長い文章でした。最初の部分がコピー出来ていな
かったんですね。確認せずブログ巡りに行っちゃったので、今朝
拝見して赤面です。すみません。
コンバットはビッグモロー主演の戦争映画でした。
あはは〜やはり同年代ですね?赤胴鈴之助を聞いていました。
「誰だっ、名をなのれー赤胴鈴之助だー」なんてまだ覚えてます。
主題歌も歌えるかも?ですよ。(爆)
The Horse Whispererは見たことありません。ロバートレッドフォード好きです!彼の映画は何時でも内容が好きです。今度レンタルで見てみますね!
「A River Runs Through It」は見ましたよ!あれも良かったですね!あれもロバートレッドフォードでしたっけ?ブラッドピットしか覚えていません。(笑)この映画は割りと最近見ました。これはモンタナ州だったんですか!知りませんでした!モンタナは西側はロッキー山脈がある山で東側は何もない草原です。A River Runs Through Itは中間くらいの場所なんでしょうね。結構山がありましたよね。
この8ミリのデジタル化は私が生きている間の大きな課題です。というのは父が20代の頃撮った8ミリから(私が小学校の頃)ここにもってきているのです。息子がどうしても見たいと行って、日本に行った時持ち帰りました。日本は湿気が多いのでカビが心配で。それと子供達が赤ちゃんの時の8ミリもあるんですよ。これを全部デジタル化しなくちゃと思っています。もうそろそろ機械でできていても良い頃ですよね。調べてみようかと思っています。
Simbaさんも「大草原の小さな家」をみていたんですね。あれは随分長かったですね。確か娘は結婚もしましたよね。
そのコマーシャルは全然覚えていませんが、イーデス・ハンソンは覚えていますよ。変な外人さんね。シングルエイトってありましたね。それとレギュラーエイトでしたっけ。
父はお酒も飲めず、唯一写真だけが趣味で、中学の頃から写真は撮っていたそうで、父が20代の終わりは8ミリを撮っていました。あの頃はお金のかかる趣味で母がこぼしていましたね。でもこれはいつまでも家族の記録として永遠に見て楽しめるものだから、お金がかかっても当然みたな口実言っていました。確かに、時々8ミリに出てくる20代の両親を見ると不思議な気持ちになります。多分今度は泣くでしょうねえ。
8ミリのフィルム?我が家には一本くらいのこっているかも。(笑)
アメリカの皿洗い機とかドライヤーはいつからなんでしょうね。皿洗い機は1960年代くらいからじゃないでしょうか。でも当時は流石にビルトインじゃなかったです。
ケーキミックスはスーパーにず〜っと並んでいましたね。ホストファミリーのおかあさんが時々ミックスのケーキを焼いて、バナナのフロスティングを載せていました。バナナをおろしたのと生クリームと混ぜて。わ〜懐かしい!日本に帰るときケーキミックスを沢山かって帰りましたよ!無性にバナナフロスティングのケーキが食べたくなってきました!(笑)
あちょ☆さん、涙もろいんですね!
私はこの映像は涙じゃなくて笑いがでます。けど、両親の20代、30代の映像を見ると、涙が止まらないかも。
「モンタナの風に吹かれて」っていう映画は見ていません。今度借りてみますね。じいさんも懐かしがるかも。
桃パイ!みましたよ!
ご両親様も気に入っていただけたようで嬉しいです。あれ、ケーキより簡単だと思いませんか?それでいて美味しいのよね〜。あれに生クリームとかアイスクリームと一緒に食べるとほっぺが落ちますよ!
Jonaminaさんのところも昔の8ミリがあるんですね!昔はこの8ミリが流行っていましたよね。皆さんどうやって保存しているのかしら。日本は湿気があるのでカビがきたりします。私が小学校の頃のものにはカビが来ています。見れないことはないけど。でも音がでないでしょう?最後の方で、音も録音できるとかいう8ミリも出たような記憶があるのですが、うちのは全部サイレント映画です。声まで聞こえたらねえ。
VHSにしたのはデジタル化しやすいって聞いたのですが。
そうですね。写真とか映像で記録を残しておくって大切ですね。そう考えると、最近子供たちの映画を撮っていませんね。
開拓時代の名残といっても流石にロングドレスは着ていませんでした!(笑)エディナも皆ジーパンでした。って開拓時代はジーパンは男性だけのもの?
モンタナ州ではアーミッシュは聞きませんでしたね。ペンシルバニア州でしょうか。
ふふふ、私も結婚当時、ハンバーガーヘルパーを使いましたよ!未だ売られているのかしら。ケーキミックスは健在です!
本当に象にありんこ(ぶーっ!)でしたね!
でも最近の日本人の生活はアメリカ人よりも進んでいるでしょう。食べるものはアメリカの物より美味しいし、携帯もハイテックで上等、トイレもお風呂も温度調節可で素晴らしいし、IHレンジだって、テレビだってず〜っと優れています。本当に時代は変わりましたね。
超お嬢様とはとてもいえませんでしたね。
でも超ラッキーだったのは確かです。滞在費、食費、お小遣い、全部無料で行けたのですから。当時は何しろ円を持ち出せないような状態でした。(日本から)一人500ドルまで持ち出し可でした。当時、海外旅行をする方達は500ドルで何ができたのでしょうね。ですから、全部ホストファミリー持ちです。こんなラッキーは話はめったにありませんよね。
18歳の私も映画に出てきますよ。
まあ可愛かったこと!(爆)
子豚のママさんの会社ではコンピューター関係も取り扱っているのですか?日本では8ミリをデジタル化する機械は未だでていないのでしょうか。8ミリフィルムを持っている人多いと思うんですよね。売れると思うんですけどね。
私が始めてツナサンドを食べたのは東京です。あれは感激しましたね〜。
まあああ〜それを知ったら、検索して調べたくなりました!(笑)
残念!過去のCMは載せていないのですか!
へ〜12歳も違うんですか!
今でも妹さんのご主人様はタレントですか?
でも面白いですね。テレビに出ていた頃は面識なかったわけでしょう?本当に人生奇遇の連続です。もし、ここに行かなかったら、もし違う会社に勤めていたらって人生を帰る地点があるんですよね。でもそれもず〜っと前から定められていたような気もするし。
これからも何があるかわかりませんね。
Dominicさんだって。
お忙しいのに何度も書き込み有難うございます。
ふふふ、私もアンさんと同じ事しています。ほら!Fc2のブログって、投稿をクリックしても確認画面が必ず出るじゃないですか。私もクリックしたら次のブログに直ぐ進むので(いそがしいもんね、お互い様)そのまま投稿されずに閉じている時があるんですよ!(笑)次の日に「入れたはずなのにね〜」なんて。
コンバットは矢張り鹿児島では放映されなかったようです。当時アメリカのテレビ番組は殆ど見ていましたから。鹿児島ってNHKと教育番組とあと民間が随分長い間一局だけでしたから。そうそうあの歌!あ、か、ど〜ぉ、すずのすけっ!わ〜もう年がばれる〜なんてもうとっくにばれてます。
「A Rivet Runs Through It」はレッド・フォードは監督なので、出演はなかったと思います。ブラピが美しいですよね〜。
>だから皆さん、人の目を気にしないで、自分の好きなように生きているのでしょう
なるほど〜。良い面悪い面、両方あるのですね。でも、日本人の「みんなと一緒じゃないと不安」というのも困りものですよね。あ、でも、わたしもそうかもしれません〈笑)。
どおりで!ロバートレッドフォードを覚えていないはずですね!お兄さん役をした人だったかなあとも思っていました。あの映画でブラッドピットは有名になったらしいですね。
bicentennial!2000年と勘違いしていました。2000年の時も凄いお祭りだったので。
へ〜200年祭の時にこちらにいらしたのですか!じゃあもう31年前の話ですね!(笑)
今Juneさんのブログの一番最初のエントリーを拝読しました。Juneさんもシカゴのホームスティーで大きな影響を受けたのですね。10代で経験した事ってインパクト大きいです。今旅行にいっても直ぐ食べたものも忘れちゃう〜。(笑)でもモンタナでどんなお料理を食べたか覚えていますから。
わ〜仕事に一番身が乗っていた時なんですか!
随分早かったんですね!
私が仕事に一番身が乗っていたのは45歳くらいでしたね。(笑)その頃は私もソファーで仮眠でしたよ。又丁度その頃じいさんは仕事がなかったので、配達をしてもらっていました。
妹の旦那は、そのCMのみでタレントを辞めたそうです。
妹が2人居て、同じくタレントで。。。
知っていますが、逢ったことはありません(笑)
スクリーンに映し出して、それをDVDカメラで撮る作業をしていました。チカチカしますが、なんとか見ることはできます。
それが昔のレコードと同じで、心地よいノイズと思えばよいのかも知れませんが。
もう9日の朝になっちゃったようです。おはようございます!
え〜妹さん二人ともタレント!Dominicさんちは皆さん美人姉妹!そういえばDominicさんもモデルのように背が高かったですよね!
あっ!なんか勘違いしたみたい!
義弟さんの(年はDominicさんよりかなり上?)の妹さん二人がタレントって事ですね。
ご自分の妹さんに会った事ないってのが変で気が付きました。
矢張りそうですか。
スクリーンをデジカメで取り直すんですね。最近のデジカメは性能が良いので、かなり良い線まで撮りなおせるんでしょうね。
いつか機械がでてこないでしょうかね。きっと私やお父様だけではないと思うんですが。
家族にとっては貴重な記録ですものね。
今両親がいなくなってから特に昔の8ミリが見たいと思うようになりました。