米国エネルギー省 (DOE)は低放射能汚染されている金属類を一般リサイクル金属と混ぜる計画を提案しています。 そうなると私達生活の身近に入り込んでくるでしょう。
放射能含有金属を一般リサイクルと混ぜない署名はこちら。
生前 父は毛筆で手紙を書くのが好きでした。
机には硯と筆が置かれてありましたが 便箋は普通の紙だったような気がします。
そのうち 硯が墨汁に代わって
最後の数年は ペン式になった筆を持っていて
世の中は便利になったものだといたく感心し
机の上の硯と墨汁はいつの間にか姿を消していました。
そして父は筆まめでもありました。
私がアメリカに来た1972年から父が亡くなる2003年までに
何通の手紙をもらったことでしょう。
でも書かれてあることは毎回同じことでした。
世界経済が悪くなり 日本も決して気を許せる状態ではないこと
会社もこれから厳しくなっていくこと
元気で皆仲良くするように
車の運転に気をつけて
一瞬の不注意で不幸になること
子供達のことは何も心配要りません (成績を気にする私へ)
書いてある事は読まなくても分かるくらいに同じことばかりでした。
お父さんの手紙は読まなくても何が書いてあるか分かると言って
父をからかったものです。
あの頃は皆若かったので言いたいことを言っていました。
父の字はとても力強い字でした。
角に力が入っていて 線に迷いが全くない 文にも迷いがない。
書き直しているのを見たことがありませんでした。
2005年 アメリカのお墓に両親の石碑を作る時
あることを思いついたのです。
父の手紙の署名をスキャンして拡大し 印刷して石碑に刻んでもらうのです。
母の名前はパスポートから。
ローマ字の名前の上に夫々 入れてもらいました。
6ヶ月もかかりましたが結果は私が想像していた以上に綺麗な出来上がりでした。
石碑には両親の筆跡がしっかりと蘇っていました。
私は毎回墓地で二人の名前を見る度に
両親をみるような気持ちになります。
字がこんなに大きな力があるとは。。。
そしていつも切ない気持ちになるのです。
クリスマス前に置いた赤いポインセチアは雨嵐でどこかに飛ばされたのでしょう。
無くなっていました。
最後までお読みくださり有難うございました。 そしていつもご訪問と応援をありがとうございます。





















コメント
コメント一覧 (40)
Chiblitsさんのブログを拝見するようになって、また、自分の父親も
まだ仕事をしつつも、体の調子が最近よくないので、年齢的なことも、ちょくちょく考えます。
私の両親も筆まめで、手紙がたくさんあります。ときどき捨てようかなと思ってきたんですけど、捨てなくてよかったです(爆)
最近は、思い出すと涙が出ます
親孝行しようと思うときには親はなし、どうして生きているうちにもっと両親のことを想わなかったかと悔やみます。
あの時の反抗した気持ち。どうかお父さん、お母さん、わかってください。今、後悔している私を。
Chiblitsさん、私は子供を持ったことがないので親としての気持ちがわかりません。反抗したときの私のこと、そのあと、一生懸命挽回しようと頑張った私のこと、親はわかってくれたでしょうか。
実家も妹の代になりさすがに探し回ることもできません。
さてさて。
chiblitsさん、お父様からのお手紙も、それからたくさんの思いでも 大事にされている事がたくさんあって、きっとそれをお子様にも渡していかれるのですね。素晴らしいなあ、と思います。
私の母もきれいな字を書く人で、折にふれ手紙やカードを送ってくれました。それがパーキンソンを患ってからは、本人も歯がゆいだろうなと思うほど、字が震えていました。それでも、メールよりも数倍心に迫るものがあり、尚更、母の病と老いに私の気持ちが苛立ったものです。
年末は特に正月準備の慌しさや料理を思い出し、むしょうに母が恋しくなります。
チビリツさん、耳関連の情報ありがとうございました。毎日左右に動かしています。耳石が戻ってくれると言いのですが。私の場合TMDとも診断されてしまいました・・・。
十年程前カリフォルニアに住んでいた時に日本語のFREEマガジンに載っていたchiblitsさんのレシピを集めて居たのがきっかけで今でも大ファンです♪ (違っていたらスミマセン(・・;))
素敵なエピソードですね。私がいつか母親になったら沢山の思いを子供に文字で残せたら素敵だと思いました。手紙何て書く事も無くなって頂く事も無くなりました。メールやチャット、Facebookでのコミュニケーションばかりです。来年は是非お友達や家族に手紙を書いて贈りたいです♪( ´▽`) 時々コメントさせて下さい宜しくお願いします。
両親と共に過ごしている日々を重ねています。自分がどれだけ親孝行を出来ているのかわかりませんが、自分に出来ることを精一杯していこうと思います。親としてわが子にどれだけのことが出来たのかと、子供が親にどれだけ孝行を尽くせたのかというのは、なんだか平行線のような気もします。
ですが、親にはこの世にワタシを誕生させてくれたという、言葉にはしがたい感謝があります。
普段忘れていることのほうが多いですけども
ご著書を購入してブログを知り、それからはずっと愛読させていただいていました。
私は昨年今年と相次いで長く介護していた両親を見送りました。父が亡くなった後、役所である手続きをする際に
たまたま以前に届出をしていた書類を見せられました。
差し出されたその古い書類にはまだ元気だった頃の父の
しっかりした文字がありました。その瞬間、思わず
「ああ…私の父の文字です、少しだけこれを見続けさせてください」とお願いし
涙がこぼれていました。
『文字』がこれほどまでに
生きた証ということを私も
亡くしてみて初めて知りました。
お久しぶりです。
きょう両親のお墓参りへ行って来たところです。
もう亡くなって7年・8年と経ちますが、いつになっても懐かしい思いです。
来年1月娘と孫が旦那さんの勤務地のアメリカ、カルフォルニアに行くことになりました。
子供達が小さい為、わたしも付いて行くことになりました。
楽しみでもあり、少し不安です。
カリフォニアばあさん
「父の字はとても力強い字でした。
角に力が入っていて 線に迷いが全くない 文にも迷いがない。
書き直しているのを見たことがありませんでした。」
たった3行で、生きているお父さんのすべてを見るようです。
こんなに素晴らしい表現、文章の勉強をしている、私には唸りたくなる”宝の3行”です。
「アメリカのお墓に両親の石碑を作る」
「両親の直筆を石碑に刻んでもらう」
この2行、カリフォニアばあさんの両親への天より高い、海より深い愛情、胸の底から暖かいものがこみ上げてきました。コメントを書かずにはおれませんでした。
フリムン徳さん
遠く離れた土地に住む父上様はどんなにか末娘を案じたことか計りしれませんね。
素晴らしいお気持ちですね。
東部は 土曜日 朝から 降り続いていましたが、正午には 雨に変わりました。 昨日 ビニールを プランターの上に掛けたところでした。デージーが花を開こうとしていて、部屋にいれるわけにもいかず、 寒さが気になります。 こんな日の夕食は、葉野菜と餃子の汁物かな。 作ってあるものばかりですから、鍋に入れるだけです。 NYのはらさんも 雪かな?
弟が墓参りしたときの写真を送ってくれました。父が亡くなったときに自分のも朱で入れていた母の戒名が白くなっていました・・・
海外に住んでいて、両親の顔を見ることも2年に一度できたらいいところ。今はまだ二人とも元気だけれど、若くはないからお願いだから健康でいてね、と言ってます。うちの父は無口で電話口にでても数分しか話さないひとなのですが、chiblitsさんのお父様のように書道をします。この記事を読みながら、両親のことを思い出して涙が出そうになりました。
大晦日には電話をかけて、みんなが元気であることを確認しようと思います。
Blue Hillsさんもご両親を想う気持ちが大きいのですね!近くに帰られたのでご両親は嬉しいでしょうね。
私も同じ事ばかり書いているのでいくつかは処分しましたよ。 まだまだ元気な頃ですね〜。でも後からのはとってあるのですが最後はイーメールになったので矢張り全部とっておけばよかったと思っています。
3年も経ちましたか。 私も思い出すたびに涙がでました。 最近は思い出す度に涙はでません。多分思い出す父は病気の父じゃなくなって元気だったころの父だからでしょう。 最初の3年は最後の父ばかり思いだしていました。いつも後悔の気持ちで涙がでました。
本当に親孝行をしょうと思う時は親はなしです。
きっと分かっていらっしゃいましたよ。 私も幼少の頃はお勉強もできなくてしかも癇癪持ちで両親を随分苦しめました。 未だに当時自分のしたことが忘れられずにいます。思い出すと悲しくて親の気持ちを思うと涙がとまりません。 ず〜っと良心の呵責がありました。大人になってからはいつもそれを償いたいと思っていました。 病気になったらしっかりと看病してあげようと思っていました。今でももっともっとできたのにという気持ちがいつもあります。 でも分かってくれたと思っています。
両親のことを書くときはいつも涙が出てしまいます。
子供達には沢山は残せないのできっと選んで一つずつのこすことになるでしょうね。 息子には父が書いた毛筆の大きな名前があるのですよ。息子は高校の時に陶芸を取ったので父の自筆の名前をお茶碗に写して焼いていました。ここにはないので多分あれは実家にあるかも。次回帰ったら持ち帰って息子に戻さなくちゃ。
最後の数年はイーメールが多かったですね。 イーメールも沢山残っています。
お母様はパーキンソンでしたか。 父も2000年手に帯状疱疹を患ってからは手紙を書く事がぐんとへり、殆どワードを打っていました。 その頃の字をみると力が減っているのがわかります。 字は本当にその人の変化がわかりますね。私も甲状腺の病気を患って酷い時は手が震えて字が書けなくなりました。 今は薬で治って手の振るえはとまりました。 お正月の準備!! 1日は火曜日ですね。昆布巻きどうしょうかと迷っています。
そうですか、ハンニバル強子さんのお母様もお手紙ですか。母は筆不精で私がそれを受け継ぎましたね。 手紙も電話も父からのが圧倒的に多かったです。
お母様がこちらにいらっしゃれるのは楽しみですね。きっとお母様も楽しみにしていらっしゃるでしょうね。
TMDもですか!TMDでめまいが起こるって知りませんでした。 お大事にしてください。そして良いお年をお迎えください。
初めまして!
日本語のFreeマガジンでレシピがのっていたのですか??それは私じゃないかもです。
本当に文字をみることが少なくなりましたよね。 今は100%メールで通信していますし。 自分でも文字を書くってショッピングリストくらいになってしまいましたね〜。
いつでも気軽にコメントを書いてくださいね!
こんばんは〜
両親と毎日共に過ごすってそれだけでも今では珍しい親孝行、最高の親孝行ではないですか。 特に何かを一緒にしなくても毎日座って話をしたり一緒に食事をしたり、それが一番ですよね。 私は遠くにきたのでそれができなかったこと。。。一番親にすまないと思っていることです。
初めまして!
本のご購入有難うございました。 相次いでご両親を亡くされたのですか。私も同じでした。母はたったの6ヶ月後に父のあとを追いました。
mayuminさんのコメントを読んで私まで涙が出てきました。 本当にそのとおりの気持ちです。 名前を見る度に元気だった父を思い出し母の料理メモを見て母を思い出します。字は形見ですね。
お久し振りです!
今日お墓参りでしたか。 7,8年ですか。
え〜カリフォルニアにいらっしゃるのですか! 大丈夫ですよ! 私も息子が一歳になる前に3人で帰国して息子は実家で歩けるようになったのですよ。今は子供連れを優先してくれるし席も考えてくれるので助かります。楽しみですね! 1月は未だ雨期ですがお天気がよいといいですね。
今夜中の12時半です!
フリムン徳さんからのコメント嬉しいです。
エッセイの達人フリムン徳さんから褒められると嬉しいです。 文章って面白いですよね。話を作るのは(ノンフィクションみたいに)凄く難しいけどありのままを書くのは楽です。
父は全ての人に親身になって接していたので孫達もいとこ達も皆から慕われる人でした。
私の想像ですが父はこうして自分の筆跡が残っていること凄く喜んでいると思います。どちらかというと目立ちたがり屋でしたから。
そうなんですよ。鹿児島の人は本当にお墓を大切にしますね。 実家の近くに幾つか墓地がありますが信じられないくらいいつも新しいお花が供えられています。
こちらも寒いですよ〜〜〜。昼間で40度台ですよ。でも今日は歩いてスーパーまで行ってきました。 沢山着込んで。 寒くても強いのはパンジーですよね。雪の中でもパンジーって咲きますよ。
カイシャさんも字でご両親を思い出しますか。 私は母の料理帖。 レシピが書き込んだノートを大事に持っています。でもね、ピザとか主に母がアメリカで覚えたレシピなんです。本当はしろ味噌の作り方とかそういうノートを盛ってくれば良かったけど。
いつか白になるんですね〜。 実は私もじいさんももう墓石に名前を入れているんですよ。色は赤ではないですが誕生日しか未だ書いてないです。。。って当然か。
2年に一度だとあと何回会えるのだろうって考えてしまいますよね。私もいつもあと何回会えるのだろうという気持ちがありました。だから会っているときはできるだけ楽しくそしてできるだけ帰国してあげなくちゃと思いました。
お父様は書道をなさるのですか! 今から宝物ですね。そういえば私達も日本が元旦の時電話をかけていましたね。 鹿児島からは毎年ファックスがきました。 この3年ほどやっと実家の電話を鳴らさなくなりました。
「両親を想う時」のタイトルに惹かれて、お邪魔に上がりました
>お父様の毛筆の字が力強い<
と、有りましたが、私の亡父も同じく毛筆で、力のある字を書いておりました。
その御両親様の字を石碑に刻む…素晴らしいですねぇ
その筆跡を見る度切ない想いに…
何年経っても、その想いは変わりませんよね…
私の父は72歳で26年前に逝きました〜
そして、今年11月27日に母が96歳で逝ってしまいました〜
兄弟も無く一人ぽっちになった私ですが、幸いというか、子や孫がお正月には我が家へ集合、総勢10人の賑やかな新年の幕開けになります〜
今は、何時ともなく、ひとりでに、涙が溢れてくるのですが、人前で泣くわけにはいきません
子や孫も寂しい思いをしているのですものね〜
長くなって申し訳ありません
両親は何年経っても両親です
心に生きてますよね!
有難うございました。
大切なコメント蘭をダブってupしてしまいました
お手間を取らせますが
消去して下さい。
お目ぐるしいところを
お許し下さいませ。
初めまして!
お父様も毛筆でしたか。私も父がなくなった後、父の筆を使ってお礼状等を書きました。 毛筆も楽しいなぁと思いました。
本当にその人の筆跡って写真をみるかのように思い出しますね。写真はどうしても年齢がでますが筆跡は殆どかわらないので写真よりももっと存在感が大きいように思います。
72歳ってお若いですね。お母様が96歳だったのですか。寂しくなられましたね。 父が今生きていたら今年92歳です。ご家族が10人も集まってくれるなんて!!素晴らしいですね! 本当に私も親になって長いのに子供である気持ちも永遠です。
お気遣いありませんように。あとの方を消しておきました。
ご家族と一緒に楽しい新年をお迎えください。
あははは 何方のレシピだったのでしょうね。
私は10年くらい前からHPでレシピを載せているだけです。
勘違いでも又いらしてくださいね!
いつも素敵なお話&レシピを読ませていただいているだけでしたが、今日はどうしてもコメントをしたくなりました。
父が泣くなって1年が過ぎました。Chiblitsさんのお父さんのように、毛筆が上手だった日本に住む父に、息子と娘が生まれた時、それぞれに「命名」の紙を書いてもらいました。今、いずれも額に入れて、子ども部屋のベッド脇の壁に掛けていますが、息子が生まれた2008年に比べて、娘の2011年に書かれた文字は、線が細くバランスも今一つです。表にはあまり出さない人でしたが、病気に苦しんでいた、そのすべてをあらわしているようで、毎晩それを見比べるたびに涙が出ます。
離れて暮らしていて、そのつらさをわかってあげることも、励ましてあげることも充分にできないまま、最後のほんの数時間を一緒に過ごすだけでした。後悔の気持ちでいっぱいです。
でも、もう声が聞けない今、父が残してくれた文字は、私にとって、子どもたちにとっても大切な宝物です。
これからも、お元気で、素敵なブログを続けてください。
よいお年を。
お父様にお名前を書いてもらって本当に良かったですね。 形見とか思い出はいつの間にかできるものなんですね。私の父も亡くなる3年前に手に帯状疱疹が出て神経痛がのこり最後の最後まで激痛に苦しみました。それからは筆を持つことは殆どありませんでした。 字は写真の様にはkkりと年齢はでませんがそれでも体調や病気は現れるものだと両親の字をみて思いました。でも親は子供達が幸せであったらそれが一番嬉しいことですからmooshkaさんがアメリカで幸せに暮らしていることが一番の親孝行と思います。