
今夜の夕食会メニュー
うっちゃんが通う教会 Wesley United Methodist Churchの125周年記念日でした
125年って!
2021年ー125年=1896年創立ということですよ
日本では明治29年
勝 海舟が73歳の時
夏目漱石が29歳の時
当時のカリフォルニアは有色人種への差別は
今の比ではありませんでしたから
日系移民も想像がつかない苦労をされたことと思います
外国人土地法 別名排日土地法が可決されたのが1913年ですから
自分の土地を持つ事も許されない時代だったのですね
なのに 教会で集まっている人達は皆笑顔で写真に写っているのです
教会が唯一安心できる場所だったのでしょうか

こんなにして一人一人の名前が残っているところも凄いと思いました
私は1972年に渡米して うっちゃんは1973年でした
私は船で うっちゃんは飛行機で
私はフィアンセビザで
うっちゃんは 仕事のビザで入国し
私は直ぐに銀行に勤めて うっちゃんは直ぐに看護師さんになりました
うっちゃんと話したことです
うっちゃんも私も 若かったからできたこと
今 昔に戻ったら 怖くて絶対に渡米していないよね・・・
若いということは素晴らしいですね
写真の一世 二世の方達も あの笑顔は本物だったと思います
辛い中にも 同じ国民で集まった時は神様のもとで
安心感と 信頼と 本当に楽しい事もあったと思います
アジア人に対するヘイトクライムが続く中でも
私達 負けないで生きていかなくては・・・
過去の日本人達も皆強く生きてきましたからね
今日のラスタ

お手数をおかけしますが
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ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした





















コメント
コメント一覧 (32)
カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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乗る飛行機がトラブルで、羽田に一泊しました。外国人 日本人と別れて部屋の床に皆で寝ました。朝方サンドイッチも出され食べました。Pan Amだったような。
折鶴を歌う千葉紘子さんと隣同士に寝 色々話もしましたよ。彼女はブラジル公演で、小さな手帳に書いてある歌詞を仕切りに暗唱してました。森進一さんの歌があったかな。
日本の歌は、移民の日本人がとっても喜ぶと言ってました。
ロスがどこかで乗り換え、国内便に。私の搭乗飛行機トラブルの連絡があったらしく、客が誰もいない状態で、最初に誘導されました。コーヒーを飲むかと聞かれたけど、その頃は私も日本人らしく遠慮して、でも私の疲弊した顔色を見て持ってきてくれました。
どの場面だったか確かではないのですが、私もCAになりたかったと言ったら、その人CAが操縦席まで連れて行ってくれました。
正副パイロット それに東洋人らしき男性 メカニックが狭い低い位置に座ってました。自動操縦で退屈する時間帯の雰囲気でした。正副パイロットはコーヒーを飲みながら、軽く話をし笑い合いました。操縦席は上の方が(まで)、様々な機器のボタンで埋まってました。
国内線 隣の男性が私のプレートのステーキを、子供にするようにカットしてくれました。再び乗り継ぎ地の飛行場で多くの兵隊の集団を見送ったり、空から家々のブルーの色 プールをみたりの道中でした。
25歳 最後の月の出来事でした。隣合わせで知り合った人とは会話をしたので、あの頃英語喋れたのかなぁ、と不思議です。怖い物知らずが優先してたのでしょうね。荷物も迷子になることなく、一緒に渡米しました。
とっても懐かしいです。
カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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過去の写真が資料として残されていて、受け継がれていくのがとても素晴らしいと思いました。
あの頃は、今のようにデジタルの写真でもないし、フィルムの写真で、フィルム自体も高かっただろうし。 それでもみんなが笑顔というのは、どの瞬間を切り取っても笑顔だったんでしょうね。
若かったからできた事。
私もそう思います。 私の場合はお二人とは違って、ただ単にあまり何も考えてなかったんですけどね。
この頃のヘイトクライムの記事を見ていると、国際結婚して子供たちを産んだ事の責任を感じたりもします。まだ先の長い子供たちの人生が同民族間で生まれてきた子供たちよりも厳しいものになるのだろうか・・・と考えてしまう事もあります。
先々週、うちの長男が友達に会いに1週間ロスアンゼルスへ行きました。
初めての西側のアメリカ。 短い時間を友達に会いに行ってるというのに、「お母さん、看板が日本語、韓国語、中国語だけで英語の看板がない通りがあるんだよ!」 とか 「お母さん、スーパーの値札が日本語だよ(広告の品とかの)」とか逐一連絡してきていました。
私たちは、アメリカでもアジア人の少ない土地ばかりに住んでいますので、息子は一週間の滞在で、私の20年のアメリカ生活をはるかに超える日本食をたくさん食べ歩いて楽しく過ごしたようです。
カルフォルニアのばあさん
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72年ごろとはいえ、今ほど海外は近くではなかったはず。
東京から小笠原への船旅だって、やれやれもう無理だと思っているのに、一人で、船でアメリカまでなんて、ほんとに若さゆえでしょうか。
今度、ぜひ、アメリカへの船旅、お話してくださいませ。
ラスタちゃんとの一枚。
いい写真ですね。
ラスタちゃん、すこし笑っていますね。うれしそうです。
カルフォルニアのばあさん
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今日のブログを読んで泣いてしまいました。
一生を異国の地で暮らすと言うことはどんな気持ちなのか・・分からない。
娘は18歳でアメリカに行きもう早14年目です。
相変わらずNJで一人暮らし。グリーンカードも出て喜んでいますが結婚もせず(出来ず?)何が楽しく何のためにアメリカに居るのか?
このままずーっと死ぬまでアメリカに居るのかな・・
親と言えど一人の人間の気持ちは動かせないし尊重もしたいです。
自分たちも歳をとってきたのか、私達何のために一生懸命に子育てしたんだろ?、親なんてつくづく悲しいものだと思います。
娘の人生だから好きなように生きてほしいとは思います。
私、寂しいのかな・・?
つまらない事書いてすみません。
カルフォルニアのばあさん
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90年夏家族でデンバー、ペンシルベニアと家族旅行に行きました。
娘二人はアメリカの大学院を卒業してNY,AZに住み孫もいます。
私の影響、勧めで留学し良かったのかな、、と思ったりしました。
そのことを聞いたら後悔はせず感謝してると言われ少し胸をなでおろしました。
最近15年で100回以上渡米してましたが、まさか行き来ができ\なくなるとは思いもよらなかったです。
先週2回のワクチン接種終了し、アメリカへ行けるぞと思って調べたらPCR検査や帰国後3日間ホテル待機、2週間の自宅待機で2週間会いに行ったら17日間の隔離ではとあきらめました。
一日も早く日常に戻る日を祈ります。
これからも夢をもって頑張ろう、そして老夫婦でレンタカーでアメリカ大陸横断したいと思ってます。
カルフォルニアのばあさん
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ところでChiblitsさんがアメリカに渡った経緯やら、じいさん様との出会いはどんな風だったのでしょう?過去ログが膨大過ぎて探し当てられず、でもきっと全部読んだらどこかに書いてるんでしょうねー。どのあたりにあるかヒントをいただけますか?
カルフォルニアのばあさん
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